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「太平記」八幡炎上の事(その5)

去るほどに敦賀まで著きたりける越前の勢ども、遥かに八幡山やはたやま炎上えんしやうを聞いて、いか様攻め落とされたりと心得て、実否じつひを聞き定めん為に数日すじつ逗留とうりうして、いたづらに日数ひかずを送る。八幡の官軍くわんぐんは、兵粮を社頭に積んで悉く焼き失ひしかば、北国の勢を待つまでのこらへ場もなかりければ、六月二十七日にじふしちにちの夜半に、ひそかに八幡の御山おんやまを退き落ちて、また河内かはちの国へぞ帰りける。この時もし八幡の城今四五日も堪へ、北国の勢逗留もなく上りたらましかば、京都はただ一戦の内に攻め落とすべかりしを、聖運時未だ至らざりけるにや、両陣の相図あひづ相違して、敦賀と八幡との官軍ども、互ひに引きて帰りける薄運のほどほどこそあらはれたれ。




やがて敦賀(現福井県敦賀市)に着いた越前の勢どもは、遥かに八幡山(現京都府八幡市)の炎上を聞いて、もしや攻め落とされたかと思い、実否を確かめるために数日逗留して、徒らに日数を送りました。八幡の官軍は、兵粮を社頭に積んでいたので残らず焼かれ、北国の勢を待つまで堪えることができずに、(延元三年(1338))六月二十七日の夜半に、密かに八幡山を退き落ちて、また河内国に帰りました。この時もし八幡城があと四五日堪えて、北国勢が逗留することなく上っていたならば、京都はただ一戦の内に攻め落とせたものを、聖運時いまだ至らなかったか、両陣の相図相違して、敦賀と八幡の官軍どもが、互いに引き帰る薄運のほどは明らかでした。


続く


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by santalab | 2017-01-21 09:27 | 太平記 | Comments(0)

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