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「太平記」義貞の馬属強の事(その2)

外様の人々には、宇都宮美濃の将監しやうげんを始めとして、禰津ねづ・風間・敷地しきぢ上木うへき・山岸・瓜生うりふ河島かはしま・大田・金子・伊自良いじら・江戸・紀清両党以下著到ちやくたうの軍勢ら三万余人、旗竿はたさを引きそばめ引き側め、膝を屈し手をつかねて、堂上だうじやう庭前に満ち満ちたれば、由良・舟田に大幕おほまくをかかげさせて、大将遥かに目礼して一勢一勢座敷をつ。巍々ぎぎたるよそをひ、堂々たる礼、まことに尊氏たかうぢきやう天下てんがを奪はんずる人は、必ず義貞朝臣なるべしと、思はぬ者はなかりけり。その日の軍奉行いくさぶぎやう上木うへき平九郎、人夫にんぶ六千余人に、幕・掻楯かいたて・埋め草・屏柱・櫓の具足どもを持ち運ばせて参りければ、大将中門にて鎧の上帯うはおび締めさせ、水練栗毛すゐれんくりげとて五尺三寸ありける大馬に、手綱打ち懸けて、門前にて乗らんとし給ひけるに、この馬にはかに属強つけずまひをして、あがつつをどつつ狂ひけるに、左右に付きたる舎人二人ににん蹈まれて、半死半生に成りにけり。これをこそ不思議と見る処に、旗差し進んで足羽あすは河を渡すに、乗つたる馬俄かに河伏かはぶしをして、旗差し水にひたりにけり。加様かやうども、未然に凶を示しけれども、已に打ち臨める戦場を、引つかへすべきにあらずと思ひて、人並々に向かひける勢ども、心中に危ふまぬはなかりけり。




外様の人々には、宇都宮美濃将監(宇都宮泰藤やすふぢ)をはじめとして、禰津・風間・敷地・上木・山岸・瓜生・河島・太田・金子・伊自良・江戸・紀清両党([宇都宮氏の家中の精鋭として知られた武士団])以下著到([変事や戦闘に際し、軍勢催促に応じて馳せ集まった軍勢])の軍勢ら三万余人が、旗竿を抱え持ち、膝を屈し腕組みして、堂上庭前に充満すると、由良・舟田に大幕を上げさせて、大将が遥かに目礼すると一勢一勢座敷を立ちました。巍々([おごそかで威厳のある様])たる装い、堂々たる礼、まこと尊氏卿(足利尊氏)の天下を奪う者は、間違いなく義貞朝臣であると、思わぬ者はいませんでした。その日の軍奉行上木平九郎が、人夫六千余人に、幕・掻楯([大形の楯])・埋め草([城攻めの時、堀や溝を埋めるために用いる草やその他の雑物])・屏柱・櫓の具足どもを持ち運ばせて参ると、大将(新田義貞)は中門で鎧の上帯([鎧の胴を締める緒。また、鎧の上から締める白い帯])を締めさせ、水練栗毛という五尺三寸もある大馬に、手綱を打ち懸けて、門前で乗ろうとしましたが、この馬が突然付けずまい([馬が人や荷物などを乗せるのを嫌って暴れること])して、躍り上がって暴れたので、左右に付いていた舎人二人が蹴られて、半死半生になりました。これを不思議と見るところに、旗差しが進んで足羽川(現福井県を流れる河川)を渡っていると、乗っていた馬が急に川に潜ったので、旗差しは水に漬ってしまいました。このような怪([不思議、あるいは不気味なこと])は、未然に凶を示していましたが、戦場を前にして、引き返すべきではないと思いながらも、列をなして向かう勢どもの中に、心中危ぶまぬ者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2017-01-25 07:26 | 太平記 | Comments(0)

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