大将義貞は、燈明寺の前に控へて、手負ひの実検してをはしけるが、藤島の戦ひ強くして、官軍ややもすれば追つ立てらるる体に見へける間、安からぬ事に思はれけるにや、馬に乗り替へ鎧を着替へて、わづかに五十余騎の勢を相従へ、路を変へ畔を伝ひ、藤島の城へぞ向かはれける。その時分黒丸の城より、細川出羽の守・鹿草彦太郎両大将にて、藤島の城を攻めける寄せ手どもを追ひ払はんとて、三百余騎の勢にて横畷を廻りけるに、義貞覿面に行き合ひ給ふ。細川が方には、歩立にて楯を突いたる射手ども多かりければ、深田に走り下り、前に持楯を衝き並べて鏃を支へて散々に射る。義貞の方には、射手の一人もなく、楯の一帖をも持たせざれば、前なる兵義貞の矢面に立ち塞がつて、ただ的に成つてぞ射られける。中野藤内左衛門は義貞に目加せして、「千鈞の弩は為鼷鼠不発機」と申しけるを、義貞聞きも敢へず、「失士独り免るるは非我意」と云ひて、なほ敵の中へ懸け入らんと、駿馬に一鞭を勧めらる。
大将義貞(新田義貞)は、燈明寺(現福井県福井市)の前に控えて、手負いの実検をしていましたが、藤島城(現福井県福井市)の戦いは激しく、官軍がややもすれば追っ立てらるように見えたので、安からぬと思ったか、馬に乗り替え鎧を着替えて、わずかに五十余騎の勢を従え、路を変え畔を伝い、藤島城に向かいました。その時分黒丸城(小黒丸城。現福井県福井市)より、細川出羽守・鹿草彦太郎を両大将として、藤島城を攻める寄せ手どもを追い払おうと、三百余騎の勢で横畷を廻っていましたが、義貞と覿面([面と向かうこと])に遭遇しました。細川方には、歩立で楯を突いた射手どもが多くいましたので、深田に走り下り、前に持楯を突き並べて矢を番えて散々に射ました。義貞方には、射手の一人もなく、楯の一帖も持っていませんでしたので、前の兵が義貞の矢面に立ち塞がって、ただ的ちなって射られました。中野藤内左衛門は義貞に目配せして、「千鈞の弩は鼷鼠の為に機を発せず」([たいそう重い石弓は、小さなはつかねずみを射るためには使わない。大きな目的を持ってそれを成し遂げようとしている者は、細かいことには気持ちを動かすことはないというたとえ])と申すと、義貞は聞きも敢えず、「士を失い独り免れるは我が意にあらず」と言って、なお敵の中へ駆け入ろうと、駿馬に一鞭打ちました。
(続く)