この馬名誉の駿足なりければ、一二丈の堀をも前々容易く越えけるが、五筋まで射立てられたる矢にや弱りけん。小溝一つを越へかねて、屏風を倒すが如く、岸の下にぞ転びける。義貞左手の足を敷かれて、起き上がらんとし給ふところに、白羽の矢一筋、真つ向の外れ、眉間の真ん中にぞ立つたりける。急所の痛手なれば、一矢に目暮れ心迷ひければ、義貞今は叶はじとや思ひけん、抜いたる太刀を左の手に取り渡し、自ら首を掻き切つて、深泥の中に隠して、その上に横たはつてぞ伏し給ひける。越中の国の住人氏家中務の丞重国、畔を伝ひて走り寄り、その首を取つて鋒に貫き、鎧・太刀・刀同じく取り持つて、黒丸の城へ馳せ帰る。義貞の前に畷を阻てて戦ひける結城上野の介・中野藤内左衛門の尉・金持太郎左衛門の尉、これら馬より飛んで下り、義貞の死骸の前に跪いて、腹掻き切つて重なり臥す。この外四十余騎の兵、皆堀り溝の中に射落とされて、敵の独りをも取り得ず。犬死にしてこそ臥したりけれ。
この馬は名誉の駿足でしたので、一二丈の堀を容易く越えましたが、五筋まで射立てられた矢に弱ったのか。小溝一つを越えかねて、屏風が倒れるように、岸の下に転びました。義貞(新田義貞)は左足を敷かれて、起き上がろうとしましたが、白羽の矢が一筋、真っ向の外れ、眉間の真ん中に立ちました。急所の痛手でしたので、一矢に目は暮れ気は動転して、義貞は今はこれまでと思ったか、抜いた太刀を左手に取り渡し、自ら首を掻き切って、深泥の中に隠して、その上に横たわって伏しました。越中国の住人氏家中務丞重国(氏家重国)が、畔沿いに走り寄り、その首を取って切っ先に貫き、鎧・太刀・刀を同じく取り持って、黒丸城(小黒丸城。現福井県福井市)に馳せ帰りました。義貞の前で畷を隔てて戦っていた結城上野介(結城宗広ではない)・中野藤内左衛門尉・金持太郎左衛門尉は、馬から飛んで下り、義貞の死骸の前にひざずいて、重なり臥しました。このほか四十余騎の兵は、皆堀り溝の中に射落とされて、敵を一人も討つことはできませんでした。ただ犬死にして臥しました。
(続く)