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「太平記」義貞自害の事(その3)

この馬名誉の駿足なりければ、一二丈の堀をも前々容易く越えけるが、五筋まで射立てられたる矢にやよはりけん。小溝一つを越へかねて、屏風びやうぶたをすが如く、岸の下にぞ転びける。義貞左手ゆんでの足を敷かれて、起き上がらんとし給ふところに、白羽しらはの矢一筋ひとすぢ、真つかうはづれ、眉間の真ん中にぞ立つたりける。急所の痛手なれば、一矢に目暮れ心迷ひければ、義貞今は叶はじとや思ひけん、抜いたる太刀を左の手に取り渡し、みづから首を掻き切つて、深泥じんでいの中に隠して、そのうへに横たはつてぞ伏し給ひける。越中ゑつちゆうの国の住人ぢゆうにん氏家うぢへ中務なかづかさなかづかさのじよう重国しげくにくろを伝ひて走り寄り、その首を取つてきつさきに貫き、鎧・太刀・刀同じく取り持つて、黒丸の城へ馳せ帰る。義貞の前になはてへだてて戦ひける結城ゆふき上野かうづけの介・中野藤内左衛門とうないざゑもんじよう金持かなぢ太郎左衛門さゑもんの尉、これら馬より飛んで下り、義貞の死骸の前にひざまづいて、腹掻き切つて重なり臥す。この外四十しじふ余騎の兵、皆堀り溝の中に射落とされて、敵の独りをも取り得ず。犬死にしてこそ臥したりけれ。




この馬は名誉の駿足でしたので、一二丈の堀を容易く越えましたが、五筋まで射立てられた矢に弱ったのか。小溝一つを越えかねて、屏風が倒れるように、岸の下に転びました。義貞(新田義貞)は左足を敷かれて、起き上がろうとしましたが、白羽の矢が一筋、真っ向の外れ、眉間の真ん中に立ちました。急所の痛手でしたので、一矢に目は暮れ気は動転して、義貞は今はこれまでと思ったか、抜いた太刀を左手に取り渡し、自ら首を掻き切って、深泥の中に隠して、その上に横たわって伏しました。越中国の住人氏家中務丞重国(氏家重国)が、畔沿いに走り寄り、その首を取って切っ先に貫き、鎧・太刀・刀を同じく取り持って、黒丸城(小黒丸城。現福井県福井市)に馳せ帰りました。義貞の前で畷を隔てて戦っていた結城上野介(結城宗広むねひろではない)・中野藤内左衛門尉・金持太郎左衛門尉は、馬から飛んで下り、義貞の死骸の前にひざずいて、重なり臥しました。このほか四十余騎の兵は、皆堀り溝の中に射落とされて、敵を一人も討つことはできませんでした。ただ犬死にして臥しました。


続く


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by santalab | 2017-01-28 09:26 | 太平記 | Comments(0)

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