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「太平記」義貞自害の事(その4)

この時左中将さちゆうじやうの兵三万余騎、皆たけく勇める者どもなれば、身に替はり命に代はらんと思はぬ者はなかりけれども、小雨まじりの夕霧ゆふぎりに、誰を誰とも見分かねば、大将の自ら戦ひ打ち死にし給ふをも知らざりけるこそ悲しけれ。ただ外にある郎等らうどうが、主の馬に乗り替へて、河合かはひを指して引きけるを、数万の官軍くわんぐん遥かに見て、大将の跡に随はんと、見定めたる事もなく、心々にぞ落ち行きける。漢の高祖かうそは自ら淮南わいなん黥布げいほを討ちし時、流れ矢に当たつて未央宮びあうきゆううちにして崩じ給ひ、せい宣王せんわうみづから楚の短兵と戦つて干戈かんくわに貫かれて、修羅場しゆらばの下に死し給ひき。されば「蛟竜かうりようは常に保深淵之中。もし遊浅渚有漁綱釣者之愁」と云へり。この人君の股肱として、武将の位にそなはりしかば、身を慎しみ命をまつたうしてこそ、大儀の功を致さるべかりしに、自らさしもなき戦場に赴いて、匹夫のやじりに命を止めし事、運のきはめとは云ひながら、うたてかりし事どもなり。




左中将(新田義貞)の兵三万余騎は、皆猛く勇める者どもでしたので、身に替わり命に代わろうと思わぬ者はいませんでしたが、小雨まじりの夕霧に、誰を誰とも見分けず、大将が自ら戦い討ち死にしたことも知りませんでしたが悲しいことでした。ただ離れていた郎等([家来])が、主の馬に乗り替えて、河合庄(現福井県福井市)を指して引くのを、数万の官軍は遥かに見て、大将の後に従おうと、誰と見定めることもなく、心々に落ちて行きました。漢の高祖(前漢の初代皇帝、劉邦)は自ら淮南(現安徽あんき省淮南市)の黥布(英布)を討った時、流れ矢に当たって未央宮(首都長安の南西部にあった宮殿)の内にして崩じ、斉の宣王は自ら楚の短兵と戦って干戈([武器])に貫かれて、修羅場の下に死にました。「蛟竜([竜の一種])が常に深淵の中にいるのは、浅い渚に遊び釣者の漁綱に掛かることを愁うからである」といいます。(義貞は)君(第九十六代後醍醐天皇)の股肱([主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下])として、武将の位となったからには、身を慎しみ命を全うして、大儀の功を致すべきに、自ら大事とも言えぬ戦場に赴いて、匹夫の鏑に命を失ったのは、運の極めとはいいながら、なんともあっけない死に様でした。


続く


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by santalab | 2017-01-29 08:01 | 太平記 | Comments(0)

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