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「太平記」義助重集敗軍事(その2)

これを始めとして、あるひは心もこらぬ出家して、往生院わうじやうゐん長崎の道場に入り、あるひは縁にしよくし罪をじやして、黒丸の城へ降参す。昨日まで三万騎さんまんぎに余りたりしつはものども、一夜の程に落ち失せて、今日はわづかに二千騎にだにも足らざりけり。かくては北国をまへん事叶ふまじとて、三峯みつみねの城に河島かはしまを籠め、杣山そまやまの城に瓜生うりふを置き、みなとの城にはた六郎左衛門ろくらうざゑもんじよう時能ときよしを残されて、うるふ七月十一日に、義助よしすけ義治よしはる父子共に、禰津ねづ・風間・江戸・宇都宮の勢七百余騎を率して、当国の府へかへり給ふ。




これをはじめとして、ある者は心にもない出家をして、往生院(現福井県坂井市にある称念寺)長崎道場(往生院の別名)に入り、ある者は縁を頼り罪を謝して、黒丸城(現福井県福井市)に降りました。昨日まで三万騎に余っていた兵は、一夜のうちに落ち失せて、今日はわずかに二千騎に及びませんでした。こうなっては北国を平定することは叶わないと、三峯城(現福井県鯖江市)に河島(河島惟頼これより)を置き、杣山城(現福井県南条郡南越前町)には瓜生(瓜生たもつ)を、湊城(三国湊城。現福井県坂井市)には畑六郎左衛門尉時能(畑時能)を残して、(延元えんげん三年(1338))閏七月十一日に、義助(脇屋義助。新田義貞の弟)・義治(脇屋義治。義助の子)父子ともに、禰津(祢津宗貞むねさだ)・風間(風間信昭のぶあき)・江戸(江戸景氏かげうぢ)・宇都宮(宇都宮泰藤やすふぢ)の勢勢七百余騎を率して、越前国府(現福井県越前市)に帰りました。


続く


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by santalab | 2017-02-01 07:12 | 太平記 | Comments(0)

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