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「太平記」義貞の首懸獄門事付勾当内侍の事(その1)

新田左中将さちゆうじやうの首京都に着きければ、これ朝敵てうてきさい、武敵の雄なりとて、大路おほちを渡して獄門に懸けらる。この人前朝ぜんてうの寵臣にて、武功世にかうむらしめしかば、天下てんが倚頼いらいとして、その芳情を悦び、その恩顧を待つ人、幾千万と云ふ数を知らず、京中きやうぢゆう相交あひまじはりたれば、車馬道に横たはり、男女ちまたに立つて、これを見るに堪へず、泣き悲しむ声遥々えうえうたり。中にもかの北のたい勾当の内侍の局の悲しみを伝へ聞くこそあはれなれ。この女房はとう大夫だいぶ行房ゆきふさの娘にて、金屋きんをくの内によそほひを閉ぢ、鶏障けいしやうもとこびを深うして、二八の春の頃より内侍に召されて君王のかたはらにはんべり、羅綺にだもへざるかたちは、春の風一片の花を吹き残すかと疑はる。紅粉こうふんを事とせるかんばせは、秋の雲半江はんかうの月を吐き出だすに似たり。されば椒房せうばう三十六さんじふろく宮、五雲の漸くにめぐる事をいたみ、禁漏きんろうの二十五声、一夜のまさに長き事を恨む。




新田左中将(新田義貞)の首が京都に着くと、これこそ朝敵の最たる者、武敵の雄であると、大路を渡して獄門に懸けられました。義貞は前朝(第九十六代後醍醐天皇)の寵臣でしたので、武功を世に蒙り、天下の倚頼([頼り])として、その芳情([他人の親切な心遣いや気持ちを敬っていう語])をよろこび、その恩顧を待つ人は、幾千万という数を知らず、京中に数多くいましたので、車馬が道に連なり、男女が路地に立って、見るに堪えず、泣き悲しむ声は遥かまで聞こえました。中でも北の対屋の勾当内侍の局(勾当内侍。世尊寺行房ゆきふさの妹もしくは娘?)の悲しみを伝え聞くに勝る哀れはありませんでした。この女房は頭大夫行房の娘でした、金屋([金殿])の内に身を飾り、鶏障([錦鶏障]=[宮中の一室にある、錦鶏を描いた襖])の下に媚([美しさ])を深くして、二八(十六歳)の春頃より内侍に召されて君王(後醍醐天皇)の傍らに侍り、羅綺さえ及ばぬその顔かたちは、まるで春風が一片の花を吹き残したようでした。紅粉([化粧])を施したその顔は、秋の雲が半江(夕陽に紅に染まる長江)に月が出るようでした。なれば椒房([皇居])の三十六宮([阿房宮]=[秦の始皇帝が建てた大宮殿])の女房どもは、五雲([仙人や天女が遊ぶ所にかかるという五色の雲])が勾当内侍に廻り懸かることを悲しみ、禁漏(宫中の漏刻=漏刻)の二十五声(音の数らしい)は、一夜がまさに長いことを恨みました。


続く


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by santalab | 2017-02-02 07:18 | 太平記 | Comments(0)

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