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「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その20)

楚王に位を可継御子みこなくして、その孫子そんし出で来にければ、公卿くぎやう大臣皆相計つて、楚国の王に成し奉る。蛮夷率服そつふくし、諸侯の来朝する事、ただ秦の始皇の六国りつこくを合はせ、漢の文慧ぶんけい九夷きういしたがへしに不異。王子わうじ已に三歳に成り給ひける時、洞庭とうてい波上はじやうに三千余艘よさうの舟をならべ、数百万人の好客かうかくを集めて、三年三月の遊びをし給ふ。紫髯しぜんの老将は解錦纜、青蛾せいがの御娘は唱棹歌。かれをさへや大梵高台だいぼんかうたいの花喜見城宮きけんじやうぐうの月も、不足見不足翫と、遊びたはぶれ舞ひ歌うて、三年三月の歓娯くわんご已にはりける時、夫人かの三歳の太子をいだいて、ふなばたに立ち給ひたるが、踏みはづして太子夫人諸共に、海底に落ち入り給ひてげり。数万の侍臣あわてて一同に、「あらやあらや」と云ふ声に、客の夢忽ちに覚めてげり。




楚王には位を継ぐべき王子がいませんでしたが、孫子が生まれたので、公卿大臣が相談して、この孫を楚国の王にしました。蛮夷は残さず従い、諸侯が来朝しました、まるで秦始皇帝が六国([斉 · 楚 · 燕 · 韓 · 魏 · 趙])を合わせ、漢の文慧(文叔。後漢初代皇帝、光武帝)が九夷([昔、中国の漢民族が東方にあると考えた九つの野蛮国。畎夷けんい于夷うい・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷])を従えたようなものでした。王子が三歳になった時、洞庭(現湖南省北東部にある淡水湖)の波上に三千余艘の舟を並べ、数百万人の客を集めて、三年三月(三月三日?節句)の遊びをなしました。紫髯([赤みがかった頬ひげ。 西方の異民族の容貌])の老将は金襴([よこ糸に金糸を織り込んで紋様を表した豪華な織物])を脱ぎ、青蛾([まゆずみで描いた青く美しい眉まゆ。美人の形容])の娘は棹歌([船頭の歌う歌])を唄いました。大梵高台([大梵天=色界十八天の中の第三天。の住む宮殿])の花喜見城宮([須弥山の頂上の忉利天たうりてん)にある帝釈天の居城])の月も、過ぎないほど、遊び戯れ舞い歌い、三年三月の歓娯が終わろうとした時、夫人は三歳の太子を懐いて、舷に立ちましたが、踏み外して太子夫人諸共に、水底に沈んでしまいました。数万の侍臣はあわてて一同に、「あらあら」と言う声に、客は夢からたちまちに覚めました。


続く


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by santalab | 2017-02-04 07:35 | 太平記 | Comments(0)

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