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「太平記」自伊勢進宝剣事黄粱夢事(その21)

つらつら夢中の楽しみを計れば、遥かに天位五十年ごじふねんを経たりといへども、覚めて枕の上のねぶりを思へば、わづかに午睡ごすゐ一黄粱いちくわうりやうの間を不過けり。客ここに人間百年の楽しみも、皆枕頭片時しんとうへんしの夢なる事を悟り得て、これより楚国へは不越、忽ちに身を捨てて、世を避くる人と成つて、つひに名利に繋がるる心はなかりけり。これを揚亀山やうきさんが謝日月詩に作つて云はく、

少年力学志須張 得失由来一夢長試問邯鄲欹枕客 人間幾度熟黄粱

これを邯鄲午睡ごすゐの夢とは申すなり。就中なかんづく葛葉くずはの関は、年来南都の管領くわんりやうの地にて候ふを、無謂召し放されん事、衆徒の嗷訴がうそを招くにて候はずや。綸言再びし難しといへども、あやまつては則勿憚改とまうす事候へば、速かに以前の勅裁を被召返、南都の嗷訴事未だきざさざるさきに可被止や候ふらん」と委細に奏し申されければ、上皇もげにもとや思し召しけん、すなは院宣ゐんぜんを被成返ければ、宝剣をば平野の社の神主卜部の宿禰しくね兼員かねかずに被預、葛葉の関所せきところをば如元また南都へぞ被付ける。




つらつら夢中の楽しみを推し量れば、遥かに天位五十年を経るといえども、覚めて枕の上の睡を思えば、わずかに午睡([昼間、少しの間眠ること])の夢は一黄粱(粟粥を煮る間。[黄粱]=[粟])に過ぎませんでした(趙の時代に廬生という若者が故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴き、そこで呂翁という道士に出会い、夢が叶うという枕を廬生に授かる。廬生がその枕を使ってみると、みるみる出世し栄華を極める。しかし年齢には勝てず、終に死ぬ。ふと目覚めると、呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がっていなかった。という故事)。客(廬生)は人間百年の楽しみも、皆片時の夢であることを悟り、これより楚国へは向かわず、たちまちに身を捨て、遁世人となって、遂に名利を望むことはありませんでした。これを揚亀山が日月に謝する詩に作りました、

少年よ学を心ざし怠ることなかれ。損得は一夢のようなもの。枕を授かった邯鄲の客に訊ねてみるがいい、人生は栗粥がが煮える間ほどに短いものだ。

これを邯鄲午炊の夢(邯鄲の夢。一炊の夢)と申します。申すまでもなく葛葉の関(楠葉関。大阪府枚方市)は、長年南都(奈良)が管領する地でございます、謂われなく召し上げれば、衆徒([僧])の嗷訴([平安中期より室町時代にかけて、寺社の僧徒・神人が、朝廷・幕府に対し、仏力・神威をかざしてその訴えを主張した集団行動])を招くことでございましょう。綸言を覆されることは難しくございますが、過ちては改むるに憚ること勿れと申しますれば、すみやかに以前の勅裁を召し返されて、南都の嗷訴のきざしが見えぬ前に止められてはいかがでございましょう」と委細に奏し申したので、上皇(北朝初代光厳上皇)ももっともだと思われたか、たちまち院宣を翻して、宝剣を平野社(現京都市北区にある平野神社)の神主卜部宿禰兼員(卜部兼員)に預けられ、葛葉の関所は元通りまた南都のものとしました。


続く


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by santalab | 2017-02-04 07:56 | 太平記 | Comments(0)

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