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「太平記」義貞の首懸獄門事付勾当内侍の事(その5)

中将ちゆうじやう坂本より北国へ落ち給ひし時は、路次ろしの難儀をかへりみて、この内侍をば今堅田いまがたたと云ふ所にぞ留め置かれたりける。かからぬ時の別れだに、行くには跡を顧みて、かうべ家山かさんの雲にめぐらし、留まるは末を思ひ遣りて、泪を天涯てんがいの雨に添ふ。いはんや中将は行くとても憑みなき北狄ほくてきの国に赴き給へば、生きて再び廻り逢はん後の契りもいさ知らず。また内侍は、都近き海人あま礒屋いそやに身を隠し給ひければ、今もや探し出だされて、憂き名を人に聞かれんずらんと、一方ならず歎き給ふ。翌年の春、父行房ゆきふさ朝臣金崎かねがさきにて討たれ給ひぬと聞こへしかば、思ひの上に悲しみを添へて、明日までの命もよしや何かせんと、歎きしづみ給ひしかども、さすがに消えぬ露の身なれば、に袖を干し侘びて、二年ふたとせ余りに成りにけり。




中将(新田義貞)が坂本(現滋賀県大津市)より北国へ落ちた時は、路次の難儀を思って、この内侍(勾当内侍。世尊寺行房ゆきふさの妹もしくは娘?)を今堅田(現滋賀県大津市)という所に留め置きました。この時の別れさえ、後ろを振り返り、頭を家山([故郷])の雲に廻らし、留まる内侍は(義貞の)行く末を案じて、涙を天涯([空の果て])の雨に添えるのでした。申すまでもなく中将は行く末誰一人頼む者もない北狄の国に赴けば、(勾当内侍と)生きて再び巡り逢おうとの契いを定かとも思えませんでした。また内侍は、都近い海人の礒屋に身を隠していまぢたので、たちまち探し出されて、憂き名を人に聞かれるのではないかと、その悲しみは一方ならぬものでした。翌年の春、(勾当内侍の)父である行房朝臣(世尊寺行房)が金ヶ崎城(現福井県敦賀市)で討たれたと聞こえたので、思いの上に悲しみを添えて、明日までの命さえ何の甲斐もないと、嘆き沈んでいましたが、さすがに消えぬ露の身なれば、起き居に袖を干し兼ねて、二年余りが過ぎました。


続く


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by santalab | 2017-02-06 08:07 | 太平記 | Comments(0)

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