Santa Lab's Blog


「太平記」義貞の首懸獄門事付勾当内侍の事(その6)

中将ちゆうじやうも越前に下り着きし日より、やがて迎ひをも上せばやと思ひ給ひけれども、道の程もたやすからず、また人の云ひ思はんずる所憚りあれば、ただ時々の音信おとづればかりを互ひに残る命にて、年月を送り給ひけるが、その秋の始めに、今は道の程も暫くしづかに成りぬればとて、迎ひの人を上せられたりければ、内侍はこの三年みとせが間、暗き夜の闇に迷へるが、にはかに夜の明けたる心地して、やがて先づ杣山そまやままで下り着き給ひぬ。折節をりふし中将は足羽あすはと云ふ所へ向かひ給ひたりとて、ここには人もなかりければ、杣山そまやまより輿のながえを廻らして浅津あさうづの橋を渡り給ふ処に、瓜生弾正左衛門さゑもんじよう百騎計りにて行き合ひ奉りたるが、馬より飛んでり、輿の前にひれ伏して、「これはいづくへとて御渡り候ふらん。新田殿は昨日の暮れに、足羽とまうす所にて討たれさせ給ひて候ふ」と申しも果てず、涙をはらはらとこぼせば、内侍の局、こはいかなる夢の現ぞやと、胸塞がり肝消えて、中々泪も落ち遣らず、輿の中にふし沈みて、「せめてはあはれその人の討たれ給ひつらん野原の草の露の底にも、身を捨て置きて帰れかし。さのみはをくれ先立たじ、ともに消えも果てなん」と、泣き悲しみ給へども、「早やその輿舁き返せ」とて、急いでまた杣山へぞ返し入れ参らせける。




中将(新田義貞)も越前に着いた日より、やがて(勾当内侍の)迎えを上らせようと思っていましたが、道中も安全ではなく、また人が何かと申すのも憚られて、ただ時々の音連ればかりを互いに命あるものと思いながら、年月を送っていました、その秋の初めに、今は道中もしばらく落ち着いたかと、迎えの人を上らせました、内侍(勾当内侍。世尊寺行房ゆきふさの妹もしくは娘?)はこの三年の間、暗い夜の闇に迷っているようでしたが、にわかに夜が明けた心地がして、やがてまず杣山城(現福井県南条郡南越前町)まで下り着きました。折節中将(新田義貞)は足羽城(現福井県福井市)という所に向かったとかで勾当内侍、ここには人もいませんでしたので、杣山より輿の轅([馬車・牛車などの前方に長く突き出ている二本の棒])を廻らして浅津橋(朝六つ橋?現福井県福井市)を渡るところに、瓜生弾正左衛門尉が百騎ばかりで行き会いましたが、馬から飛んで下り、輿の前にひれ伏して、「これはいったいどちらに行かれます。新田殿(新田義貞)は昨日の暮れに、足羽と申す所で討たれました」と申しも果てず、涙をはらはらとこぼしたので、内侍局(勾当内侍)は、まさか夢ではないかと、胸は塞がり肝は消えて、涙も流さず、ただ輿の中に伏して、「せめてはその人の討たれた野原の草の露の底にも、身を捨て置いて帰られよ。ただ我を残したまま先立たせることができましょうや、ともに消え果てたい」と、泣き悲しみましたが、「すぐさまその輿を舁き返せ」と、急いでまた杣山に返しました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-02-07 07:20 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」義貞の首懸獄門事付勾...      「太平記」義貞の首懸獄門事付勾... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧