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「太平記」義貞の首懸獄門事付勾当内侍の事(その7)

これぞこのほど中将殿ちゆうじやうどのの住み給ひし所なりとて、色紙押ち散らしたる障子しやうじの内を見給へば、何となき手ずさみの筆の跡までも、ただ都へいつかと、あらまされたる言の葉をのみ書きき、詠み捨てられたり。かかる空しき形見を見るに付けても、いとど悲しみのみ深くなり行けば、心少しも慰むべき方ならねども、中将の住み捨て給ひし跡なれば、ここにて中陰のほどをも過ごして、亡き跡をもとぶらはばやと思しけるに、やがてその辺りも騒がしく成つて敵の近付くなど聞こへしかば、城の麓は悪しかるべしとて、やがてまた京へ上せ奉り、仁和寺の辺り、かすかなる宿の、主だに住まずなりぬる蓬生よもぎふの宿に送り置き奉る。都も今はかへつて旅なれば、住み所も定まらず、心浮かれ袖しほれて、いづくにか身を浮舟の寄るもあるべきと、昔見し人の行くたづねて陽明やうめいあたりへ行き給ひける路に、人数多あまた立ち合ひて、あなあはれなんど云ふ音するを、何事にかと立ち留まりて見給へば、越路こしぢ遥かに尋ね行きて、逢はでかへりし新田左中将義貞の首を、獄門の木に懸けられて、まなこ塞がり色変ぜり。内侍の局これを二目とも見給はずして、かたはらなる築地ついぢの陰に泣き倒れ給ひけり。知るも知らぬもこれを見て、ともに涙を流さぬはなかりけり。




これがこのほど中将殿(新田義貞)が住んでいた所ですと申して、(勾当内侍が)色紙を押ち散らした障子の内を見れば、ほんの手遊みの筆の跡までも、ただいつの日か都にと、あらました([ 先々こうなればよいと考えておくこと])言葉ばかり書き置き、詠み捨てられていました。この空しい形見を見るにつけても、いっそう悲しみは深くなって、心を少しも慰めるものではありませんでしたが、中将が住んでいた所でしたので、ここで中陰([人の死後四十九日の間])のほども過ごして、亡き跡を弔いたいと思いましたが、やがてその辺りも騒がしくなって敵が近付くなどと聞こえたので、城の麓に留まるのはよくないと、やがてまた京へ上り、仁和寺(現京都市右京区にある寺院)の辺り、物寂しい宿の、主さえ住まなくなった蓬生([蓬などが生い茂って荒れ果てた土地])の宿に送り置きました。都も今は旅のようなものでした、住み所も定まらず、心は定かならず袖は萎れて、どこに浮舟の身の置き所があろうかと、旧交の女房の行方を尋ねて陽明門([平安京大内裏外郭十二門の一。東面])のあたりを通る路に、人が多く立って、なんとかわいそうにと言う声がしたので、何事かと立ち留まって見れば、遥か越路を訪ねて、逢うことも叶わず帰ったその新田左中将義貞の首が、獄門の木に懸けられていました、目は塞がり色もすっかり変わっていました。内侍局(勾当内侍。世尊寺行房ゆきふさの妹もしくは娘?)は二目と見ることなく、傍らの築地([土塀])の陰で泣き倒れました。勾当内侍を知る者知らぬも、ともに涙を流さぬ者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2017-02-08 08:07 | 太平記 | Comments(0)

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