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「太平記」佐渡判官入道流刑の事(その4)

武家もさすが山門の嗷訴がうそ難黙止思へければ、「道誉が事、死罪一等を減じて遠流をんるに可被処か」と奏聞しければ、すなはち院宣ゐんぜんを成され山門をなだめらる。前々ならば衆徒の嗷訴はこれにはすべて休まるまじかりしかども、「時節をりふしにこそよれ、五刑のその一つを以つて山門に理を付けらるる上は、神訴眉目びぼくを開くるに似たり」と、宿老これを宥めて、四月十二日に三社の神輿を御帰座成し奉て、同じき二十五日道誉・秀綱ひでつなが配所の事定まりて、上総かづさの国山辺郡やまのべこほりへ流さる。道誉近江の国分寺まで、若党わかたう三百余騎、打ち送りの為にとて前後に相従ふ。そのそのともがらことごとく猿のかはうつぼに懸け、猿の皮の腰当てをして、手毎に鴬篭うぐひすこを持たせ、道々に酒さかなまうけて宿々に傾城けいせいもてあそぶ。事のてい世の常の流人には替はり、美々びびしくぞ見へたりける。これもただ公家の成敗を軽忽きやうこつし、山門の鬱陶うつたう嘲弄てうろうしたる振る舞ひなり。




武家もさすが山門(延暦寺)の嗷訴([平安中期以後、僧兵・神人 じにんらが仏神の権威を誇示し、集団で朝廷・幕府に対して訴えや要求をすること])を放っておけませんでしたので、「道誉(佐々木道誉)を、死罪一等を減じて遠流に処するべきか」と奏聞したので、すなわち院宣をなされ山門を宥められました。前々ならば衆徒の嗷訴はこれで終わりませんでしたが、「時と場合によるもの、五刑のその一つをもって山門に道理を通したのだから、神訴は眉目を開く([心配事が解決してほっと安心する様子])と同じ」と、宿老はこれを宥めて、四月十二日に三社(十禅師・客人まらうと・八王子?)の神輿を帰座して、同じ二十五日には道誉・秀綱(京極秀綱=佐々木秀綱。道誉の長男)の配所が定まって、上総国山辺郡(現千葉県山武郡)に流されました。道誉には近江国分寺まで、若党三百余騎が、見送りのため前後に従いました。その輩は一人残らず猿の皮を靫([矢を携帯するための筒状の容器])に懸け、猿の皮の腰当てをして、手には鴬篭([鶯籠])を持ち、道々で酒宴を設けて宿々で傾城([美女])と戯れました。世の常の流人とは違って、華やかなものでした。これもただ公家の成敗を軽忽([軽くみること])し、山門の鬱陶([わずらわしく思うこと])を嘲弄した振る舞いでした。


続く


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by santalab | 2017-02-13 07:35 | 太平記 | Comments(0)

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