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「太平記」佐渡判官入道流刑の事(その5)

聞かずや古より山門の訴訟を負ひたる人は、十年じふねんを過ぎざるに皆その身を滅ぼすと云ひ習はせり。治承には新大納言成親なりちかきやう、西光・西景さいけい、康和には後二条ごにでうの関白、その外泛々はんはんともがらは不可勝計。さればこれもいかがあらんずらんと、智ある人は眼を付けて怪しみ見けるが、果たして文和三年の六月十三日じふさんにちに、持明院新帝、江州へ臨幸成りける時、山名左京さきやうの大夫時氏うぢときに被襲、江州へ臨幸成りける時、道誉が嫡子源三げんさん判官秀綱ひでつな堅田にて山法師やまほふしに討たる。そのおとと四郎左衛門しらうざゑもんは、大和の内郡うちのこほりにて野伏どもに殺されぬ。嫡孫近江あふみ判官はうぐわん秀詮ひであきら・舎弟次郎左衛門じらうざゑもん二人ににんは、摂津の国神崎かんざきの合戦の時、南方の敵に誅せられにけり。弓馬の家なれば本意とはまうしながら、これらは皆医王山王の冥見みやうけんに懸けられしゆゑにてぞあるらんと、見聞けんもんの人舌を振るはして、恐れ思はぬ者はなかりけり。




聞かれたことがございましょうか古より山門(延暦寺)の訴訟を負った人は、十年を過ぎないうちに皆その身を滅ぼすと言われています。治承には新大納言成親卿(藤原成親)、西光(俗名、藤原師光もろみつ)・西景(俗名、藤原成景なりかげ)、康和には後二条関白(藤原師通もろみち)、その外取るに足りない輩は数知れませんでした。なればこれもどうなることかと、智恵ある人は気にかけていましたが、果たして文和三年の六月十三日に、持明院新帝(北朝初代、光厳くわうごん天皇)が、江州(近江国)に臨幸になられた時、山名左京大夫時氏(山名時氏)に襲われて、道誉の嫡子源三判官秀綱(京極秀綱=佐々木秀綱)は堅田で山法師にに討たれました。その弟四郎左衛門(佐々木秀宗ひでむね?)は、大和の内郡(宇智郡。現奈良県五條市)で野伏どもに殺されました。道誉の嫡孫近江判官秀詮(京極秀詮=佐々木秀詮。京極秀綱の長男)・その弟次郎左衛門(京極氏詮うぢあき)の二人は、摂津国神崎の合戦の時、南方(南朝)の敵に誅せられました。弓馬の家なれば本意とは申しながら、これらは皆医王山王(比叡山延暦寺の根本中堂の本尊である薬師如来と滋賀県大津市坂本にある日吉神社の日吉山王権現)の冥見([人々の知らないところで、神仏が衆生を見守っていること])にかかった故であろうと、見聞の人は舌を振る([非常に驚き恐れる])って、恐れぬ者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2017-02-14 06:50 | 太平記 | Comments(0)

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