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「太平記」法勝寺の塔炎上の事(その1)

康永元年三月二十日に、岡崎の在家よりにはかに失火出で来たつてやがて焼け静まりけるが、わづかなる細燼ほそくづ一つ遥かにじふ余町よちやうを飛び去つて、法勝寺の塔の五重ごぢゆうの上に落ち留まる。しばしがほどは燈篭の火の如くにて、消えもせず燃へもせで見へけるが、寺中の僧たち身を揉うであわて迷ひけれども、上るべきはしもなく打ち消すべき便りもなければ、ただいたづらにそらをのみ見上げて手ひろげてぞ立たれたりける。さるほどにこの細燼乾きたる桧皮ひはだに焼け付きて、黒煙くろけぶり天を焦がして焼け上がる。猛火みやうくわ雲を巻いて翻へる色は非想天の上までも上り、九輪くりんの地に響いて落つる声は、金輪際の底までも聞こへやすらんとをびたたし。魔風しきりに吹いて余煙四方しはうおほひければ、金堂こんだう・講堂・阿弥陀堂・鐘楼しゆろう・経蔵・総社そうしやの宮・八つ足の南大門・八十六間の廻廊くわいらう、一時の程に焼失して、灰燼くわいじん忽ち地に満てり。焼けける最中よそより見れば、煙の上にあるひは鬼形きぎやうなる者火を諸堂に吹き懸け、あるひは天狗の形なる者松明たいまつを振り上げて、塔の重々ぢゆうぢゆうに火を付けけるが、金堂の棟木むなぎの落つるを見て、一同に手を打つてどつと笑うて愛宕あたご大岳おほだけ金峯山きんふせんを指して去ると見へて、しばしあれば花頂山くわちやうざん五重ごぢゆうの塔、醍醐寺の七重の塔、同時に焼けける事こそ不思議なれ。




康永元年(1342)三月二十日に、岡崎の在家よりにわかに失火が出てやがて焼け静まりましたが、わずかな細燼([燼]=[燃え残り])が一つ遥かに十余町飛び去って、法勝寺(現京都市左京区にあった寺院)の塔の五重の上に落ちました。しばらくは燈篭の火のように、消えもせず燃えもしないように見えました、寺中の僧たちは気が気でなくあわて迷っていましたが、上るべき階もなく火を打ち消す手段もなく、ただ徒らに空を見上げて手を擦り合わせて立っていました。 やがて細燼は乾いた桧皮に焼け付いて、黒煙が天を焦がして立ち上りました。猛火が雲を巻いて翻える炎は非想天([非想非非想天]=[無色界むしきかいの第四天で、三界の諸天のうち最高位。わずかに煩悩が残るが、無想に近い境地。有頂天])の上までも上り、九輪([五重塔などの仏塔の屋根から天に向かって突き出た金属製の部分。相輪])が地に響いて落ちる音は、金輪際([大地の最下底の所])の底までも聞こるかと思われるほどに激しいものでした。魔風がしきりに吹いて余煙([消え残った火の煙])が四方を覆ったので、金堂・講堂・阿弥陀堂・鐘楼・経蔵・総社宮・八つ足の南大門・八十六間の廻廊は、一時のほどに焼失して、灰燼はたちまち地に充満しました。燃える最中に外から見れば、煙の上にあるいは鬼形の者が火を諸堂に吹き懸け、あるいは天狗姿の者が松明を振り上げて、塔の重々に火を付けていましたが、金堂の棟木([母屋や桁と平行に取りつけられる屋根の一番高い位置にある部材])が落ちるのを見て、一同に手を打って一斉に笑って愛宕山(現京都市右京区の北西部)・大岳(大比叡)・金峯山(現奈良県吉野郡吉野町)を指して去るかと見えて、しばらくすると華頂山(現京都市東山区にある華頂山知恩教院大谷寺=知恩院。浄土宗総本山)の五重の塔、醍醐寺(現京都市伏見区にある寺院。真言宗醍醐派総本山)の七重の塔が、同時に焼けたのは不思議なことでした。


続く


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by santalab | 2017-02-15 07:44 | 太平記 | Comments(0)

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