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「太平記」作々木信胤成宮方事(その2)

そもそもこの信胤のぶたねまうすは、去んぬる建武けんむの乱の始めに、細川きやうの律師定禅ぢやうぜんに与力して、備前備中の両国をたひらげ、将軍の為に忠功ありしかば、武恩に飽きて、恨みを可含事もなかりしに、依何今にはかに宮方に成るぞと、事の根元を尋ぬれば、この頃天下てんがわざはひをなす例の傾城けいせい故とぞまうしける。その頃菊亭殿に御妻おさいとて、見目貌みめかたち無類、そのしな賎しからで、なまめきたる女房ありけり。しかあれども、元来心かろく思ひ定めたる方もなければ、何となく引く手数多あまたの浮き綱の、目もはづかなるそのたとへもなほ事過ぎて、寄る瀬いづくにかと我ながら思ひ分かでぞあり渡りける。さはありながら、をぼろけにては、人の近付くべきにもあらぬ宮中の深きすまひなるに、いかがして心を懸けし玉垂れの、ひま求め得たる便りにかありけん、今の世に肩を双ぶる人もなきかうの土佐のかみに通ひ馴れて、人知れず思ひ結ぼれたる下紐したひぼの、堰き止め難き仲なれば、初めのほどこそ忍びけれ、後は早や山田やまたに懸かるひたふるに打ちひたたけて、生憎あやにくなる里居さとゐにのみ罷でければ、宮仕ひも常にはおろそかなる事のみありて、主のひだんのをほゐまうちきみも、かくとも知らせ給ひしかば、むつかしの人目を中の関守や、宵々よひよひ毎の深け過ぐるを待たずともあれかしと被許、罷で出でける時もあり。




そもそもこの信胤(飽浦あくら信胤)と申すのは、去る建武の乱([延元の乱]=[足利尊氏が後醍醐天皇の建武政権に対して反旗を翻した挙兵])のはじめ、細川卿律師定禅(細川定禅)に与力して、備前備中両国を平定し、将軍(足利尊氏)の忠功を蒙った者でしたので、武恩に飽きて、恨みを含むこともありませんでした、どうして今にわかに宮方になったのかと、事の根元を尋ねると、この頃天下に禍いをなす例の傾城([美女])故とのことでした。その頃菊亭殿(今出川兼季かねすゑ)に御妻(お才)と申して、見目かたち類なく、その品([身分])も賎しくない、美しい女房がいました。けれども、元より情け浅く定めた人もいませんでしたので、引く手あまたの浮き綱でしたが、寄るか寄らぬかに見えるばかりの例えにもなお過ぎて、寄る瀬さえ知れぬままでした。とはいいながら、かすかに聞くばかりの、人が近付くこともない宮中の奥の局に住む、お才の局にどのようにして心を懸け、機を得たのか、今の世に肩を並べる人もない高土佐守(高師秋もろあき)が通い慣れて、人知れず下紐解く、仲となりました、初めこそ忍んで通っていましたが、後は山田に混じり出て、里居するようになりました、宮仕えも常に疎かになって、主の左大臣公(今出川兼季かねすゑ。ただし兼季は太政大臣・右大臣)も、事情を知って、厳しく警固する関守でもあるまい、宵々毎に夜が更けるのを待つまでもないと許されて、里に下がる時もありました。


続く


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by santalab | 2017-02-17 07:55 | 太平記 | Comments(0)

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