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「太平記」作々木信胤成宮方事(その3)

懸かりしほどに、この土佐のかみに元相馴あひなれて、子ども数多あまたまうけたる鎌倉の女房ありける。これは元より田舎人ゐなかうどなりければ、物妬みはしたなく心武々しくて、かの源氏の雨夜あまよの物語に、とう中将ちゆうじやうの指を食ひ切りたりし有様ども多かりけり。されども子どもの親なれば、怪しからずの有様やとは乍思、いなと云ふべき方もなくて、年を送りけるところに、土佐の守伊勢の国の守護に成つて下向しけるが、二人ににんの女房を皆具足して下らんとて、元の女房をば先づ下しぬ。御妻おさいを同じやうにと待ちしかども、今日よ明日よとて少しうるさげなる気色に見へしかば、土佐の守なほも思ひの色増して、伴ひ行かでは叶ふまじきとて、三日まで逗留とうりうして、とかく云ひ恨みけるほどに、さらばとて、夜半許りに輿指し寄せ、几帳きちやう指し隠して扶け乗せられぬ。土佐の守無限うれしくて、道に少しも不休、やがて伊勢路いせぢに赴きけり。まだ夜を篭めて、逢坂あふさかの関の岩かど蹈み鳴らし、木綿ゆう付け鳥に被送て、水の上なる粟津野あはづのの、露分け行けばにほの海、流れのすゑの河となる、勢多の橋を打ち渡れば、衣手の田上河たながみがはの朝風に、比良の峯渡し吹き来たつて、輿のすだれを吹き揚げたり。出だし衣のうちを見入れたれば、年のほど八十許りなる古尼ふるあまの、ひたひにはしわのみ寄りて、口には歯一つもなきが、腰二重ふたへかがめてぞ乗つたりける。




さて、この土佐守(高師秋もろあき)には以前より相慣れて、子どもを多く儲けた鎌倉の女房がいました。この女房は元より田舎人でしたので、物妬みは激しく気性は荒く、かの源氏の雨夜の物語(『雨夜の品定め』)に、頭中将の指を食い切ったようなことも多くありました。けれども師秋にとっては子どもの親でしたので、怪しからぬ女と思いながらも、別れることができずに、年を送っていました、土佐守が伊勢国の守護になって下向する時、この二人の女房を連れて下ろうと思い、元の女房をまず下しました。お才の局を同じく待ちました、お才の局は今日には明日にはと申して少しいやがっているように思えましたが、土佐守(高師秋)はますます思いの色を増して、連れて行かぬわけにはいかないと、三日間京に逗留して、あれこれと口説いたので、ならばと、夜半ほどに輿を差し寄せると、几帳に隠れて車に乗りました。土佐守は限りなくうれしくて、道中少しも休まず、やがて伊勢路に向かいました。まだ夜の内に、逢坂の関の岩かど踏み鳴らし(『夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ』。清少納言)、木綿付け鳥([鶏])に送られて、水上の粟津野(現滋賀県大津市)の、露を分け行けば鳰の海([琵琶湖])、流れの末の川(勢田川)となる、勢多の橋(勢田の唐橋。現滋賀県大津市)を打ち渡れば、衣手の田上川(『やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと みあらかは 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負へる くすしき亀も 新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば 神からにあらし』。『万葉集』)の朝風に、比良の峯渡しが吹いて、輿の簾を吹き上げました。出だし衣([女官や童などが、乗った牛車の下簾したすだれの下から、女房装束の一部を外に出すこと])の簾の中を覗くと、年のほど八十ばかりの古尼、額には皺のみ寄り、口には歯の一つもない者が、腰を二重に屈めて乗っていました。


続く


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by santalab | 2017-02-19 10:06 | 太平記 | Comments(0)

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