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「太平記」作々木信胤成宮方事(その5)

いかに求むれどもなければ、この女房の住みしあたりなる局にありけるわらはとらへて、責め問ひければ、「その女房は通ふ方多かりしかば、いづくとも差しては知り難し。この頃は飽浦あくら三郎左衛門さぶらうざゑもんとかや云ふ者にこそ、分きて心ざし深く、人目も憚らぬやううけたまはさふらひしか」と語りければ、土佐のかみいよいよ腹を据ゑ兼ねて、やがて飽浦が宿所へ推し寄せて討たんとたばかりけるを聞きて、自科じくわ依難遁、身を隠し兼ね、多年粉骨ふんこつの忠功を棄てて、宮方の旗をば挙げけるなり。

をり得ても 心許すな 山桜 さそふ嵐に 散りもこそすれ

と歌に詠みたりしは、人の心の花なりけりと、今更思ひ知つても、浅ましかりし事どもなり。




いくら捜しても女房は見つからなかったので、この女房が住んでいた近くの局にいた女童を捕まえて、責め訊ねると、「女房の許へ通うお方は多くございましたので、どちらへ行かれたのか分かりません。この頃は飽浦三郎左衛門(飽浦信胤のぶたね)と申す者が、とりわけ心ざし深く、人目も憚らぬ様でございました」と答えたので、土佐守(高師秋もろあき)はますます腹を立てました、やがて飽浦(信胤)の宿所に押し寄せて討とうとしていると聞いたので、信胤は自科([自分の犯した咎])による難を遁れるため、身の置き所を探して、多年粉骨の忠功を捨てて、宮方の旗を上げたのでした。

花の盛りだからといって油断してはならない。誘う嵐にたちまち散ってしまうのが山桜よ。

と歌に詠んだのは、人の心の花のことであったかと、今更に知ったところで、(高師秋にとっては)無念なことでした。


続く


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by santalab | 2017-02-21 07:02 | 太平記 | Comments(0)

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