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「太平記」義助予州下向の事(その1)

去るほどに四国の通路開きぬとて、脇屋刑部卿義助よしすけは、暦応三年四月一日勅命をかうむつて、四国西国の大将をうけたまはつて、下向とぞ聞こへし。年来相順あひしたがふ兵その数多しといへども、越前美濃の合戦に打ち負けし時、大将の行くを不知して山林に隠れ忍び、あるひは危難を遁れてさかひを隔てしかば、芳野よしのへ馳せ来たる兵五百騎にも不足けり。されども四国中国に心を通ずる官軍くわんぐん多くありしかば、今一日も可急とて、未明びめいに芳野を打つ立つて、紀伊に懸かり被通けるに、加様かやうついでならではいつか参詣の心ざしをも遂げ、当来値遇ちぐの縁をも可結と被思ければ、先づ高野山かうやさんまうでて、三日逗留とうりうし、院々ゐんゐん谷々をがまはるに、聞きしよりなほたつとくて、八葉はちえふの峯空にそびへ、千仏の座雲に捧げたり。無漏むろとぼそ苔閉ぢて、三会さんゑの暁に月をす。あるひは説法衆会しゆゑぢやうもあり、あるひは念仏三昧のみぎりもあり。




やがて四国の通路は開かれて、脇屋刑部卿義助(脇屋義助。新田義貞の弟)は、暦応三年(1340)四月一日に勅命を蒙って、四国西国の大将を承り、下向すると聞こえました。年来相従う兵は数多くいましたが、越前美濃の合戦に打ち負けた時、大将の行く末を知らずして山林に隠れ忍び、あるいは危難を遁れて落ちたので、吉野に馳せ来た兵は五百騎にも足りませんでした。けれども四国中国に心を通ずる官軍は多くいましたので、今一日も急ぐべしと、未明に吉野を打ち立って、紀伊路を通る時、このついででなければいつ参詣の心ざしを遂げ、当来値遇([縁あって巡り会うこと。特に、仏縁あるものに巡り会うこと])の縁を結ぼうと思い、まず高野山に詣でて、三日逗留し、院々谷々を拝んで廻りましたが、聞くよりもなお貴くて、八葉の峯は空にそびへ、千仏は雲間に座していました。無漏([煩悩の穢れのないあり方])の扉は苔閉じて、三会([弥勒菩薩が釈迦入滅の五十六億七千万年後に兜率天とそつてんから人間界に下って、竜華樹りゆうげじゆの下で悟りを開き、衆生のために三度にわたって説くという説法の会座])の暁に月を待つようでした。説法衆会の道場もあり、念仏三昧の砌([場所])もありました。


続く


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by santalab | 2017-02-22 07:00 | 太平記 | Comments(0)

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