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「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その1)

その頃日野の僧正そうじやう頼意らいいひそかに吉野の山中を出でて、いささか宿願の事ありければ、霊験のあらたなる事を憑み奉り、北野の聖廟せいべうに通夜し侍りしに、秋も半ば過ぎて、杉の梢の風の音もすさまじく成りぬれば、晨朝ありあけの月の松より西に傾き、閑庭かんていの霜に映ぜる影、常よりも神宿かみさびて物哀ものあはれなるに、巻き残せる御経を手に持ちながら、とぼしびを挑かげ壁に寄りうて、折に触れたる古き歌など詠じつつうそぶき居たる処に、これも秋の哀れに被催て、月に心のあこがれたる人よと思しくて、南殿の高欄かうらんに寄り懸かりて、三人並居なみゐたる人あり。如何なる人やらんと見れば、一人はいにし関東くわんとうの頭人評定衆みにつらなつて、武家の世のをさまりたりし事、昔をもさぞ忍ぶらんと思えて、坂東声ばんどうごゑなるが、年の程六十許りなる遁世者なり。一人は今朝廷に仕へながら、家まづしく豊かならで、出仕なんどをもせず、いたづらなるままに、何となく学窓の雪に向かつて、外典げでんの書に心をぞ慰むらんと思へて、ていなびやかに色青醒あをざめたる雲客うんかくなり。一人は何某なにがしの律師僧都なんど云はれて、門迹辺に伺候し、顕密の法灯ほつとうを挑かげんと、稽古のとぼそを閉ぢ玉泉の流れに心を澄ますらんと思へたるが、細く疲れたる法師なり。




その頃日野僧正頼意は、密かに吉野の山中を出て、ちょっとした宿願があったので、霊験あらたかなるを頼んで、北野の聖廟(現京都市上京区にある北野天満宮)で通夜しましたが、秋も半ば過ぎて、杉の梢の風の音も激しく、晨朝([午前6時頃])の月影は松の隙から西に傾いて、閑庭の霜に映る影は、常よりも神々しく物悲しげでした、頼意は巻き残した経を手に持ちながら、灯火を挑かげ壁に寄り沿い、時節の古歌を詠じていると、これも秋の哀れに催され、月に心を寄せる人と思われて、南殿の高欄に寄り懸かり、三人並んでいました。如何なる人かと見れば、一人はその昔関東の頭人([鎌倉・室町幕府の引付衆の主席])評定衆([鎌倉幕府の職名。執権・連署とともに幕府の最高意思決定機関を構成し、政務一般および訴訟の裁断について合議した。鎌倉後期には次第に空名化し、室町幕府に至ってほとんど有名無実の存在となった])一人に名を連ねて、武家の世に治った今、昔を忍ぶかと思われて、坂東なまりの、年の程六十ばかりの遁世者でした。一人は今も朝廷に仕えながらも、家は貧しく豊かdなく、出仕を止めて、隙を持て余し、何とはなく学窓の雪に向かって、外典([儒教・道教などの仏教以外 の教え=外道。を説いた書])の書に心を慰めるかと思われて、姿なびやか([優美である様])にして色青醒めた(色白の)雲客([殿上人])でした。一人は何とかの律師僧都などと呼ばれて、門跡([皇族・公家が住職を務める特定の寺院])辺に伺候し、顕密([顕教=密教以外の仏教。と密教])の法灯を挑かげんと、稽古([昔の書を読んで物の道理や故実を学ぶこと])の枢を閉じて玉泉の流れに心を澄ますかに見える、痩せ細った法師でした。


続く


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by santalab | 2017-02-22 08:03 | 太平記 | Comments(0)

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