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「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その2)

初めは天満天神の文字を、句毎のかしらに置きて連歌をしけるが、後には異国本朝の物語に成つて、げにもと思ゆる事ども多かり。先づ儒業の人かと見へつる雲客、「さても史書の所載、世の治乱をかんがふるに、戦国の七雄もつひに秦の政に被合、漢楚七十しちじふ余度の戦も八箇年の後、世漢に定まれり。我が朝にも貞任さだたふ宗任むねたふが合戦、先九年後三年の軍、源平あらそひ三箇年、この外も久しくして一両年を不過。そもそも元弘よりこの方、天下大きに乱れて三十余年、一日も未だしづかなる事を不得。今より後もいつ可静期とも不覚。これはそも何故なにゆゑとか御料簡れうけん候ふ」と云へば坂東声ばんどうごゑなる遁世者、数返すへん高らかに繰り鳴らし、無所憚申しけるは、「世のをさまらぬこそ道理にて候へ。異国本朝の事は御存知の前にて候へば、中々まうすに不及候へども、昔は民苦を問ふ使ひとて、勅使を国々へ下されて、民の苦を問ひ給ふ。そのゆゑは、君は以民為体、民は以食為命、それ穀尽きぬれば民窮し、民窮すれば年貢みつきを備ふる事なし。疲馬ひばの鞭を如不恐、王化をも不恐、利潤を先として常に非法を行ふ。民の誤る処はとがなり。吏の不善は国王に帰す。君良臣を不撰、貪利ともがらを用ゐれば暴虎をほしいままにして、百姓をしへたげり。民の憂へ天に昇つて災変をなす。災変起これば国土乱る。これかみ不慎下慢しもあなどゆゑなり。




はじめは天満天神(菅原道真)の文字を、句毎の首に置いて連歌をしていましたが、後には異国本朝の物語になって、なるほどと思うところが多くありました。まず儒業の人と思われる雲客([殿上人])が、「それにしましても史書に載るところ、世の治乱を考えますに、戦国の七雄(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国)も終に秦の政に統一されて、漢楚七十余度の戦も八箇年の後、世は漢となりました。我が朝でも貞任(安倍貞任)・宗任(安倍宗任。安倍貞任の弟)の合戦、前九年後三年の軍(前九年後三年の役)、源平が争った三箇年、このほかも長くて一両年を過ぎず。そもそも元弘よりこの方、天下はたいそう乱れて三十余年、一日もいまだ鎮まりません。今より後もいつ鎮まるとも思われません。これはいったい何故か伺いたいのですが」と言うと坂東なまりの遁世者が、数返高らかに数珠を繰り鳴らし、憚りなく申すには、「世が治まらぬのも道理というものだ。異国本朝のことは知っておられることであれば、申すに及ばぬところだが、昔は民苦を尋ねる使いとして、勅使を国々へ下されて、民の苦を尋ねたものよ。どういうことかと申せば、君は民をもって体をなし、民は食をもって命となす、穀が尽きれば民は窮し、民が窮すれば年貢を納めることもできぬ。疲馬が鞭を恐れぬように、王化をも恐れず、利潤ばかり求めて常に非法を行うものよ。民の罪は官吏の咎なり。吏の不善は国王に帰す。君が良臣を選ばず、貪利の輩を用いれば暴虎を放つようなものぞ、百姓を虐げるだけのことよ。民の憂えは天に昇って災変をなす。災変が起これば国土が乱れる。これは上に慎みなく下は上を見下すからよ。


続く


by santalab | 2017-02-22 08:16 | 太平記

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