されども上代には世を治めんと思ふ心ざし深かりけるにや、泰時朝臣在京の時、明慧上人に相看して法談の次でに仰せられけるはく、『如何にしてか天下を治め人民を安んじ候ふべき』と被申ければ、上人のたまはく、『良医能く脈を取つて、その病ひの根源を知つて、薬を与へ灸を加ふれば、病ひ自づから愈ゆる様に、国を乱る源を能く知つて可治給。乱世の根源はただ欲を為本。欲心変じて一切万般の禍ひと成る』とのたまへば、泰時の云はく、『我雖存此旨、人々無欲に成らん事難し』とのたまへば、上人の云はく、『太守一人無欲にならん事を思ひ給はば、それに恥ぢて万人自然に欲心薄く成るべし。人の欲心深く訴へ来たらば我が欲の直らぬ故ぞと我を恥ぢしめ可給。古人云はく、その身直にして影不曲、その政正しくして国乱るる事なしと云云。また云はく、君子居其室その言を出だす事善なる則は、千里の外皆応之。善と云ふは無欲なり。
けれども上代には世を治めようと思う心ざしが深かったか、泰時朝臣(鎌倉幕府第三代執権、北条泰時)が在京の時、明慧上人(鎌倉時代前期の僧)に相看([面会])して法談のついでに申すには、『どのようにして天下を治め人民を安んじるべきでしょうか』と申せば、上人は答えて、『良医は脈を取って、その病いの根源を知る、薬を与え灸を施す、さすれば病いは自ずと愈えるように、国を乱す源をよく知って治めなさい。乱世の根源はただ欲から起こるものです。欲心が変じて万般の禍いとなるのです』と申した、泰時は続けて申して、『確かにそうですが、人が無欲となることは難しいことです』と申せば、上人が申すには、『太守が無欲になろうとすれば、それに恥じて万人は自然と欲心をなくすものです。人が欲心深く訴え来たならば我が欲のせいだと反省なさい。古人が申すには、身を正せば影が曲がらぬように、政が正しければ国が乱れることはないといいます。またいわく、君子が善をもって言葉を発すれば、千里までも皆それに従うといいます。善というのはつまり無欲ということです。
(続く)