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「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その9)

伝へ聞く、しうの文王の時一国の民くろを譲るも、文王一人の徳諸国に及ぼすゆゑに、万人皆やさしき心に成りしなり。畔を譲ると云ふは、我が田のさかひをば人の方へはゆづり与ふれども、仮りにも人の地をしてかすめ取る事はなかりけり。今ほどの人の心には違ひたり。仮りにも人の物をば掠め取れども、我が物を人に遣る事不可有。その頃他国より為訴詔この周の国を通るとて、この有様を道のほとりにて見て、我が欲の深き事を恥ぢて、路より帰りけり。さればこの文王我が国ををさむるのみならず、他国まで徳を施すもただこの一人の無欲に依つてなり。剰へこの徳満ちて天下を一統して取り百年のよはひたもちき。太守一人小欲に成り給はば天下皆かかるべし』とのたまひければ、泰時やすとき深く信じて、父義時よしとき朝臣あつそん頓死とんしして譲りじやうのなかりし時つらつら義時の心を思ふに、我よりも弟をば鍾愛しようあいせられしかば、父の心にはかの者にぞ取らせたく思ひ給ひてゆづりをばし給はざるらんと推量して、弟の朝時ともとき重時しげとき以下に宗との所領を与へて、泰時は三四番めの末子ばつしの分限ほど少なく取られけれども、今まではいささか不足なる事なし。




伝へ聞くに周の文王(周の始祖)の時一国の民は畔([田と田とを分ける境界])を譲り合ったというが、文王一人の徳が諸国に及ぼすが故に、万人は皆やさしい心を持つようになったからといいます。畔を譲るというのは、我が田の境を人に譲り与えることはあっても、人の地を掠め取ることはなかったということです。今の人の心とは正反対です。人の物を掠め取ることはあっても、我が物を人に遣ることはありません。その頃ある人が他国より訴詔のためにこの周の国を通る時、この有様を道のほとりで見て、我が欲が深いことを恥じ、道中より引き返したということです。こうして文王は我が国を治めるのみならず、他国まで徳を施したのも文王一人の無欲によるものなのです。その上文王の徳は満ちて天下を一統し百年の齢を保ったのだ。太守一人が欲を捨てれば天下は皆よくなるものです』と申したので、泰時(鎌倉幕府第三代執権、北条泰時)は深く信じて、父義時朝臣(北条義時。鎌倉幕府第二代執権。北条政子の弟)が頓死([急死])したが譲り状([所領や財産を子孫などへ譲り渡すことを記した文書])がなかったのでよくよく義時の思いを鑑みて、我よりも弟を鍾愛([大切にしてかわいがること])していたからには、父の思いはこの者に相続させたかったのだと推量して、弟の朝時(北条朝時。北条義時の次男)・重時(北条重時。北条義時の三男)以下に主な所領を与え、泰時は三四番めの末子の分限([財産・資産のほど])ほどに少なく相続したが、多少なりとも不足することはなかった。


続く


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by santalab | 2017-02-24 08:18 | 太平記 | Comments(0)

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