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「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その11)

されば寛喜元年に、天下飢饉の時、借書を調へ判形を加へて、富祐ふくいうの者の米を借るに、泰時やすとき法を被置けるは、『来年世立ちなほらば、本物計りを借り主に可返納。利分は我添へて返すべし』と被定て、面々の状を被取置けり。所領をも持ちたる人には、約束の本物をかへさせ、自我方添利分、たしかに返し遣はされけり。貧なる者には皆免して、我が領内の米にてぞ主には慥かに被返ける。左様の年は、家中に毎事行倹約、一切の質物しちもつどもも古物を用ふ。衣裳も新しきをば不著、烏帽子をだに古きをつくろはせてちやくし給ふ。夜はとぼしびなく、昼は一食いちじきを止め、酒宴遊覧の儀なくして、このつひえを補ひ給ひけり。すなはち一度食するに、士来たれば不終に急ぎこれに会ひ一度かみけづるにも訴へ来たれば先づこれを聞く。一寝一休いつしんいつきうこれを不安して人の愁へを懐いて待たんことを恐る。進んでは万人を撫でん事を計り、退いては一身にしつあらん事を恥づ。然るに太守逝去せいきよの後、背父母失兄弟とする訴論そろん出で来て、人倫じんりんの孝行日に添ひて衰へ、年に随つてぞすたれたる。一人正しければ万人それに随ふ事分明なり。




寛喜元年(1229)に、天下飢饉の時(寛喜の飢饉は寛喜三年(1231))、借書を作り判を押して、裕福な者か米を借りたが、泰時(鎌倉幕府第三代執権、北条泰時)は法を定めて、『来年世が立ち直ったならば、本物([元の物])だけを借り主に返納せよ。利分([利子])はわたしが添えて返す』と定めて、面々の状を処理させた。所領を持つ人には、約束の本物を返還させ、泰時利分を添えて、返した。貧困の者には皆免除して、我が領内の米を主に返した。このような年には、家中のものはすべて倹約し、一切の物に古物を用いた。衣裳も新しい物は着ず、烏帽子さえも古いものを修繕して着た。夜は灯火も点けず、昼は食事を止め、酒宴遊覧を行わず、この出費を補ったのだ。食事中でも、人がやって来れば急ぎこれに会い整髪中でも訴へあればまずこれを聞いた。一寝一休の時も安心することなく人の憂えを残すことを恐れた。進んでは万人をいたわることを考え、退いては一身の過失を恥じた。けれど太守(北条泰時)逝去の後は、父母に背き兄弟を亡きものにする訴論が出て来て、人倫([人として守るべき道。人道])の孝行は日を追う毎に衰え、年に従い廃れてしまった。一人(上)が正しければ万人はそれに従うことは論を待たぬことよ。


続く


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by santalab | 2017-02-25 09:17 | 太平記 | Comments(0)

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