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「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その1)

斯かるところに、同じき五月四日、国府こふにおはしたる脇屋刑部卿義助よしすけにはかに病ひを受けて、身心悩乱なうらんし給ひけるが、わづかに七日過ぎて、つひに無墓成り給ひにけり。相順あひしたが官軍くわんぐんども、始皇しくわう沙丘さきうに崩じて、漢・楚機に乗る事を悲しみ、孔明籌筆駅ちうひつえきに死して、呉・魏便りを得し事を愁へしが如く、五更ごかうともしび消えて、破窓はさうの雨に向かひ、中流ちゆうるに舟を失ひて、一瓢いつぺうの浪に漂ふらんも、かくやと思へて、この事外に聞こへなば、敵に気を得られつべしとて、ひそかに葬礼さうれいを致して、隠悲呑声いへども、さすが隠れなかりしかば、四国の大将軍にて、尊氏の被置たる、細河ほそかは刑部ぎやうぶの大輔頼春よりはる、この事を聞きて、「時をば且くも不可失。これ司馬仲達がつひえに乗つて蜀を亡ぼせし謀なり」とて、伊予・讃岐・阿波・淡路の勢七千余騎を率して、先づ伊予のさかひなる河江城かはえのじやうへ押し寄せて、土肥の三郎左衛門さぶらうざゑもんを責めらる。




そうこうするところに、同じ(康永三年(1342))五月四日、国府(伊予国府。現愛媛県今治市)にいた脇屋刑部卿義助(脇屋義助。新田義貞の弟)が、にわかに病いを受けて、身心を悩ませていましたが、わずかに七日を過ぎて、終にはかなくなりました。相従う官軍どもは、始皇帝が沙丘(現河北省平郷)に崩じて、漢・楚が機に乗る事を悲しみ、孔明が籌筆駅(現四川省広元県北方)に死して、呉・魏が便り([頼み])を得たことを嘆き悲しんだように、五更([現在の午前三時から午前五時、または午前四時から午前六時頃])に灯消えて、破窓([やぶれ壊れた窓])の雨に向かい、中流に舟を失って、一瓢([瓢箪])のように浪に漂うのも、このようなものと思えて、もしこれが外に知れたなら、敵を勢い付かせることになると、密かに葬礼を致して、悲しみを隠していましたが、さすがに隠すことは叶わず、四国の大将軍として、尊氏(足利尊氏)が置いていた、細川刑部大輔頼春(細川頼春)が、このことを聞いて、「この時を逃すべきではない。これが司馬仲達が弊えに乗って蜀を亡ぼした謀よ」と申して、伊予・讃岐・阿波・淡路の勢七千余騎を率して、まず伊予の境にある河江城(川之江城。現愛媛県四国中央市)へ押し寄せて、土肥三郎左衛門(土肥義昌よしまさ)を攻めました。


続く


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by santalab | 2017-02-26 09:04 | 太平記 | Comments(0)

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