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「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その17)

また報光はうくわう寺・最勝園寺さいそうをんじ二代の相州さうしうに仕へて、引付けの人数につらなりける青砥左衛門あをとさゑもんと云ふ者あり。数十箇所すじつかしよの所領を知行して、財宝豊かなりけれども、衣裳には細布さいみ直垂ひたたれ、布の大口、いひの菜には焼きたる塩、干したる魚一つより外はせざりけり。出仕の時は木鞘巻きざやまきの刀を差し木太刀を持たせけるが、叙爵後は、この太刀に弦袋つるぶくろをぞ付けたりける。加様かやうに我が身の為には、いささかも過差くわさなる事をせずして、公方くばうの事には千金万玉をも不惜。また飢ゑたる乞食こつじき、疲れたる訴詔人そせうにんなどを見ては、ぶんに随ひしなに依つて、米銭絹布けふの類を与へければ、仏菩薩の悲願にひとしき慈悲にてぞありける。




また宝光寺(鎌倉幕府第八代執権、北条時宗ときむね)・最勝園寺(鎌倉幕府第九代執権、北条貞時さだとき。北条時宗の嫡男)二代の相州(相模守)に仕えて、引付([引付衆]=[鎌倉幕府第五代執権、北条時頼ときよりの時、評定衆の下に御家人の領地訴訟の裁判の迅速さと公正さをはかる為に設置された職])の人数に連なった青砥左衛門(青砥藤綱ふぢつな。鎌倉時代後期の武士)という人がいた。数十箇所の所領を知行して、財宝は豊かであったが、衣裳は細布([綿織物の低級品])の直垂、布の大口([袴の一])、飯の菜には焼いた塩、干した魚一つよりほかは何もしなかった。出仕の時は木鞘巻の刀を差し木太刀([木刀])を持っていたが、叙爵後は、この太刀に弦袋([掛け替えの弓弦ゆづるを巻いて持ち歩く道具])を付けていた。このように我が身のためには、多少なりとも過差([分に過ぎたこと])なることをせず、公方のことには千金万玉をも惜しまなかった。また飢えた乞食、疲弊した訴詔人を見ては、身分に従い階位に応じて、米銭絹布などを与えた、仏菩薩の悲願にも匹敵する慈悲の持ち主であった。


続く


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by santalab | 2017-02-27 08:04 | 太平記 | Comments(0)

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