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「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その4)

城中じやうちゆう時節をりふし無勢ぶせいなりければ、三十さんじふ余人ありける者ども、且く戦ひて皆討ち死にしければ、宮方の士卒これに機を挙げて、大可島おほかしまめのじやうこしらへ、鞆の浦に充満して、武島むしま小豆島せうどしまの御方を待つ処に、備後・備中・安芸・周防四箇国しかこくの将軍の勢、三千余騎にて押し寄せたり。宮方は大可島を後ろに当てて、東西の宿へ舟を漕ぎ寄せて、打つては上がり打つては上がり、荒手を入れ替へて戦ひたり。将軍方しやうぐんがたは小松寺を陣に取りて、浜面はまおもてへ騎馬のつはものを出だし、懸け合ひ懸け合ひ揉み合はせたり。互ひに戦ひ屈して、じふ余日を経ける処に、伊予の土肥とひが城被責落。細河ほそかは刑部ぎやうぶの大輔頼春よりはるは、大館左馬の助氏明うぢあきの被篭たる世田の城へ懸かると聞こへければ、土居・得能以下いげの者ども、同じく死なば、我が国にてこそかばねを曝さめとて、大可島を打ち棄てて、伊予の国に引つかへす。




城中はこの時無勢でしたので、三十余人の者どもは、しばらく戦って皆討ち死にしました、宮方の士卒はこれに気を上げて、大可島(大可島城。現広島県福山市)を攻め城になして、鞆の浦現広島県福山市)に充満して、武島(沼島?現兵庫県南あわじ市)や小豆島(現香川県小豆郡)の味方を待つところに、備後・備中・安芸・周防四箇国の将軍の勢が、三千余騎で押し寄せました。宮方は大可島を後ろに当てて、東西の宿へ舟を漕ぎ寄せて、打っては上がり打っては上がり、新手を入れ替えて戦いました。将軍(足利尊氏)方は小松寺(現広島県福山市)を陣に取って、浜面に騎馬の兵を出し、駆け合い駆け合い揉み合わせました。互いに戦い疲れて、十余日を経るところに、伊予の土肥(土肥義昌よしまさ)の城(川之江城。現愛媛県四国中央市)が攻め落とされました。細川刑部大輔頼春(細川頼春)は、大館左馬助氏明(大舘氏明)が籠もる世田城(現愛媛県西条市にある栴檀寺)を攻めると聞こえたので、土居・得能以下の者どもは、同じく死ぬのならば、我が国で屍を晒そうと、大可島を棄てて、伊予国に引き返しました。


続く


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by santalab | 2017-03-01 07:14 | 太平記 | Comments(0)

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