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「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その24)

ひんの地の人民、『懸かる難有賢人を失ひて、あに礼義をも不知仁義もなき戎に随ふべしや』とて、子弟老じやく引き連れて、同じく岐山きさんの麓に来たつて大王に付き順ひしかば、戎は己と皆亡び果てて、大王の子孫つひに天下の主と成り給ふ。しうの文王・武王これなり。また忠臣の君を諌め、世をたすけんとする振る舞ひを聞くに、皆今の朝廷てうていの臣に不似。唐の玄宗は兄弟二人ににんおはしけり。兄の宮をば寧王ねいわうと申し、御弟をば玄宗とぞ申しける。玄宗位に即かせ給ひて、好色かうしよくの御心深かりければ、天下に勅を下して容色ようしよく如華なる美人を求め給ひしに、後宮三千人の顔色我も我もと金翠きんすゐかざりしかども、天子再びと御まなじりを不被廻。




豳の地の人民は、『これほどありがたい賢人を失って、どうして礼義も知らず仁義もない戎に従わなくてはならぬのか』と、子弟老弱を引き連れて、同じく岐山(現陝西省宝鶏市)の麓に来て太王(古公亶父ここうたんぽ。周初代武王の曾祖父)に付き従ったので、戎は自ずと皆亡び果てて、太王の子孫は遂に天下の主となったのだ。周の文王(周の始祖)・武王(周の創始者。文王の次子)である。また忠臣が君を諌め、世を助けようとする振る舞いを聞くに、皆今の朝廷の臣とはまったく違っておった。唐の玄宗(唐の第九代皇帝)は二人兄弟であった。兄宮を寧王と申し、弟を玄宗と申した。玄宗が位に即くと、好色の心深くして、天下に勅を下して容色(顔立ち)華のような美人を求めたので、後宮三千人が我も我もと金翠を飾ったが、天子が再び目を向けることはなかった。


続く


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by santalab | 2017-03-01 08:02 | 太平記 | Comments(0)

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