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「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その5)

敗軍の士卒相集あひあつまつて、二千余騎ありけるその中より、日来手柄露はし名を被知たる兵を、三百余騎選り出だして、懸け合ひの合戦に勝負を決せんと云ふ。これは細川刑部ぎやうぶの大輔目に余る程の大勢なりと聞き、「中々何ともなき取り集め勢を対揚たいやうして合戦をせば、臆病武者に引き立てられて、御方の負けをする事あるべし。ただ一騎当千の兵を選つて敵の大勢を懸け破り、大将細川刑部の大輔と引つ組んで差し違へんとの謀なり。さらば敵の国中こくぢゆうへ入らぬ先に打つ立て」とて、金谷かなや修理しゆりの大夫経氏つねうぢを大将として、選つたる兵三百騎、皆一様いちやうに曼荼羅を書きて母衣ほろに懸けて、とても生きてはかへるまじき軍なればとて、十死一生じつしいつしやうの日を吉日きちにちに取つて、大勢の敵に向かひける心のうち樊噲はんくわい周勃しうぼつも未だ得ざる振る舞ひなり。あはれただ勇士の義を存する心ざしほど、やさしくもあはれなる事はあらじとて、これを聞きける者は、皆よろひの袖をぞ濡らしける。




敗軍の士卒が集まって、二千余騎の中より、日来手柄を立て名の知られた兵を、三百余騎選び出して、駆け合いの合戦で勝負を決しようと言いました。これは細川刑部大輔(細川頼春よりはる)が目に余るほどの大勢と聞き、「さして役にも立たぬ取り集め勢を対揚([対等])になして合戦すれば、臆病武者に引き立てられて、味方が負けることもあるかも知れぬ。ただ一騎当千の兵を選んで敵の大勢を駆け破り、大将細川刑部大輔(頼春)と引っ組んで刺し違えようとの企てでした。ならば敵が国中へ入らぬ先に立て」と、金谷修理大夫経氏(金谷経氏)を大将として、選鋭の兵三百騎は、皆一様に曼荼羅を書いて母衣([矢や石などから防御するための甲冑の補助武具])に懸けて、とても生きては帰れぬ軍なればと、十死一生の日([十死日]=[暦注の一。すべてに大凶とする日])を吉日に取って、大勢の敵に向かう心の内は、樊噲(中国の秦末から前漢初期にかけての武将)も周勃(中国秦末から前漢初期にかけての武将、政治家)も敵わぬ振る舞いでした。勇士の義を存する心ざしほど、情け深いことはないと、これを聞く者は、皆鎧の袖を濡らしました。


続く


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by santalab | 2017-03-02 07:04 | 太平記 | Comments(0)

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