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「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その27)

ここに魯国ろこくに一人の才人あり。宮闕きゆうけつに参つて大史の官を望みける間、すなはち左大史に成して天子のそばに慎み随ふ。玄宗またこの左大史も楊貴妃の事をや記し置きたるらんと思し召して、密かにまた官庫を開かせ記録を御覧ずるに、『天宝十年じふねん三月弘農楊玄璬やうげんえん女為寧王ねいわう之夫人。天子聞容色之媚漫遣高将軍、奪容后宮。時大史官記之留史書云云。窃達天覧之日、天子忿之被誅史官訖』とぞ記したりける。玄宗いよいよ逆鱗げきりんあつて、またこの史官を召し出し則ち車裂きにぞせられける。かくては大史の官に成る者非じと思えたる処に、また魯国より儒者一人来て史官を望みける間、やがて左大史に被成。これがしるす処をまた召し出して御覧ずるに、『天宝年末泰階平安而四海無事也。政行漸懈遊歓益甚。君王重色奪寧王ねいわう之夫人。史官記之或被誅或被車裂。臣苟為正其非以死居史職。後来史官縦賜死、続以万死、為史官者不可不記之』とぞ記したりける。己が命をかろんずるのみに非ず、後の史官に至るまでたとひ万人死するとも不記あるべからずと、三族の刑をも不恐注し留めし左大史が忠心の程こそ難有けれ。




その頃魯国(現山東省南部)に一人の才人がおった。宮闕([内裏])に参って大史官([古代中国で 、文書・記録の任にあたった官])を望んだので、たちまち左大史にして天子(唐の第九代皇帝、玄宗)に祗候させた。玄宗はまたこの左大史も楊貴妃のことを記し置く思い、密かにまた官庫を開かせ記録を見れば、『天宝十年(751)三月(開元二十八年(740)?)に弘農楊玄璬の娘で寧王(正しくは、玄宗の子、寿王=李瑁りぼう)の夫人のこと、天子(玄宗)は容色([容貌と顔色])の媚満々たりと聞いて高将軍(高力士りきし)を遣わし、后宮を奪わせた。時の大史官が史書に記し留めたという。密かにそれを見た日、天子は怒り史官を誅した』と記してあった。玄宗はますます怒って、またこの史官を召し出したちまち車裂きにしたのだ。こうして大史の官になる者はいないと思われるところに、また魯国より儒者(儒学者)が一人来て史官を望んだので、たちまち左大史になした。これが記すところをまた召し出して見れば、『天宝年末は泰階([星の名。異常がないと天下が泰平であるとされる])平安にして四海([国内])は無事であった。政はしばらく停滞し遊びに興ずることはなはだ多し。君王(玄宗)は寧王の夫人の色に溺れ、史官が記すにあるいは誅されあるいは車裂きにされた。臣苟しくとも史職にあるならば死をもってしの非を正すべし。以後の史官はたとえ死を賜わるとも、引き続き万死をもって、史官ならばこれを記さねばならぬ』と記してあったのだ。己の命を軽んずるばかりでなく、後の史官にいたるまでたとえ万人死するとも記さぬことはあるべからずと、三族の刑([罪を犯した者の三族=高祖父・曾祖父・祖父・父・子・孫・曾孫・玄孫など。までを処刑すること])をも恐れず記し留めた左大史の忠心のほどこそあり難いものであった。


続く


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by santalab | 2017-03-02 08:07 | 太平記 | Comments(0)

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