Santa Lab's Blog


「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その7)

金谷かなや修理しゆりの大夫これを見て、「すはや敵は懸かると見へたるは」とて、ちつとも見繕ふ処もなく、相懸かりにむずと攻めて、矢一つ射違ふるほどこそありけれ、皆弓矢をばはづし棄て、打ち物に成つて、をめき叫んで真つくろにぞ懸けたりける。細川刑部ぎやうぶの大輔馬廻むままはりに、とうの一族五百余騎にてひかへたるが、兼ねてのはかりことなりければ、左右へさつと分かれて控へたり。この中に大将ありと思ひも不寄、三百騎の者どもこれをば目にも懸けず、裏へつと懸け抜け、二陣の敵に打つて懸かる。この陣には三木・坂西ばんせい坂東ばんとうつはものども相集あひあつまつて、七百余騎兜のしころかたぶけて、馬を立てをさめ、しづまりかへつてひかへたりけるが、勇猛強力かうりきの兵どもに懸け散らされて、南なる山の峯へ颯と引いて上りけるが、これもはかばかしき敵はなかりけりとて、三陣の敵に打つて懸かる。これには詫間・香西かうさい橘家きつけ・小笠原の一族ども、二千余騎にて控へたり。これにぞ大将はおはすらんと見澄して、中を颯と懸け破つて、取つてかへし、引つ組んでは差し違へ、落ち重なつては首を取らる。




金谷修理大夫(金谷経氏つねうぢ)はこれを見て、「敵が懸かって来るぞ」と言うと、少しも見計ることもなく、相懸かりに攻めて、矢一つ射違えるほどこそあれ、皆弓矢を捨てて、打ち物([太刀])になって、喚き叫んでまっしぐらに駆け出しました。細川刑部大輔(細川頼春よりはる)は馬を返すと、藤一族が五百余騎で控えていましたが、予ねてよりの謀でしたので、左右へさっと分かれました。この中に大将がいるとは思いも寄らず、三百騎の者どもこれには目も懸けず、裏へ駆け抜けると、二陣の敵に打って懸かりました。この陣には三木・坂西・坂東の兵が、七百余騎兜の錣([兜・頭巾の左右・後方に下げて首筋をおおう部分])を傾けて、馬の足を止めて、静まり返って控えていましたが、勇猛強力の兵どもに駆け散らされて、南の山の峯へさっと引き上りました、ここにもはかばかしき敵はいないと、三陣の敵に打って懸かりました。ここには詫間・香西・橘家・小笠原の一族どもが、二千余騎で控えていました。ここに大将がいると見て、中をさっと駆け破ると、取って返し、引っ組んでは刺し違え、懸け破つて、落ち重なって首を取り合いました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-03-04 07:40 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」北野通夜物語の事付青...      「太平記」北野通夜物語の事付青... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧