さて二十余年を歴て後、瑠璃太子長となり浄飯王は崩御成りしかば、瑠璃太子三百万騎の勢を率して摩竭陀国の城へ寄せ給ふ。摩竭陀国は大国たりといへども、俄かの事なれば未だ国々より馳せ参らで、王宮已に被攻落べく見へける処に、釈氏の刹利種に強弓ども数百人あつて、十町二十町を射越しける間、寄せ手かつて不近付得、山に上り河を隔てて徒らに日をぞ送りける。
二十余年を経て後、瑠璃太子(コーサラ国太子。ヴィドゥーダバ)は大人になり浄飯王(迦毘羅衛国の王。釈迦の父)は崩御されたので、瑠璃太子は三百万騎の勢を率して摩竭陀国(マガダ国。古代インドにおける十六大国の一)の城へ寄せたんじゃ。摩竭陀国は大国じゃったが、急なことだったんで国々から兵は馳せ参らず、王宮はすでに攻め落とされると思えるところに、釈氏(釈迦族)の刹利種([刹利]=[古代インド四姓制度の第二階級。婆羅門に つぐもので、王侯・貴族・武士の階級])どもが数百人おったので、十町(当時の100m?)二十町を射たので、寄せ手は近付くことができずに、山に上り川を隔てていたずらに日を送ったんじゃよ。
(続く)