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「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その8)

一足も不引戦ひけるに、宮方の兵三百余騎忽ちにひづめの下に討ち死にして、わづか十七騎にぞ成りたりける。その十七騎とまうすは、先づ大将金谷経氏かなやつねうぢ河野かうの備前のかみ通郷みちさと得能弾正とくのうだんじやう日吉大蔵ひよしおほくら左衛門・杉原与一・富田とんだ六郎ろくらう高市たかいち与三左衛門・土居備中の守・浅海あさみ六郎らなり。彼らは一騎当千のつはものなれば、みづから敵に当たる事じふ余箇度、陣を破る事六箇度なりといへども、未だ痛手をも負はずまた疲れけるていもなかりけり。一所に馬を打ち寄せて、馬も物の具も見知らねば、大将いづれとも知り難し。差せる事もなき国勢どもに逢うて、討ち死にせんよりは、いざや打ち破つて落ちんとて、十七騎の人々は、また馬の鼻を引つかへし、七千余騎が真ん中を懸け破つて、備後を差して引いて行く。厳しかりし振る舞ひなり。




一足も引かず戦ううちに、宮方の兵三百余騎はたちまちに蹄の下に討ち死にして、わずか十七騎になりました。その十七騎と申すは、まず大将金谷経氏・河野備前守通郷・得能弾正(得能通時?)・日吉大蔵左衛門・杉原与一・富田六郎・高市与三左衛門・土居備中守(土居義満?)・浅海六郎でした。彼らは一騎当千の兵でしたので、自ら敵に当たること十余箇度、陣を破ること六箇度に及びましたが、いまだ痛手も負わずまた疲れた様子もありませんでした。一所に馬を打ち寄せて、馬も物の具([武具])も知りませんでしたので、いずれを大将とも見分けることもできませんでした。名もない国勢どもと戦って、討ち死にするよりは、陣を打ち破っつて落ちようと、十七騎の人々は、また馬の鼻を引き返し、七千余騎の真ん中を駆け破って、備後を指して引いて行きました。誉めるべき振る舞いでした。


続く


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by santalab | 2017-03-05 09:06 | 太平記 | Comments(0)

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