また舎衛国に一人の婆羅門あり。その妻一人の男を産めり。名をば梨軍支とぞ号しける。貌醜く舌強くして、母の乳を呑まする事を不得。僅かに酥蜜と云ふ物を指に塗り、舐らせてぞ命を活けたりける。梨軍支年長じて家貧しく食に飢ゑたり。ここに諸々の仏弟子たち城に入つて食を乞ひ給ふが、悉く鉢に満ちて帰り給ふを見て、さらば我も沙門と成つて食に飽かばやと思ひければ、仏の御前に詣でて、出家の心ざしある由を申すに、仏その心ざしを随喜し給ひて、『善来比丘於我法中快修梵行得尽苦際』とのたまへば、鬢髪を自ら落として沙門の形に成りにけり。
また舎衛国([コーサラ国の首都])に一人の婆羅門([古代インド社会の四階級中の最高位である僧侶階級])がおった。その妻が一人の男を産んだ。名を梨軍支と言った。顔は醜く舌の力が強かったので、母は乳を呑ませんじゃった。わずかに酥蜜([酥=牛の乳を精製したもの。と、蜂蜜])という物を指に塗り、舐らせて育てたんじゃよ。梨軍支が年長けると家は貧しくなって食に飢えるようになった。そこに諸々の仏弟子たちが城に入って食を乞うたが、一人残らず鉢が満たされて帰るのを見て、ならば我も沙門([バラモン階級以外の出身の男性修行者])となって腹一杯飯を食いたいと思い、仏(釈迦)の御前に詣でて、出家したいと申せば、仏はその心ざしをよろこんで、『比丘([仏教に帰依して、具足戒を受けた成人男子])よ、よいところに来た。我が法中([僧侶たち])となり苦際(修行)を尽くし梵行([仏道の修行。特に性欲を断つ行法])を修めよ』と申すと、鬢髪が自然と落ちて沙門の姿になったんじゃよ。
(続く)