Santa Lab's Blog


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その40)

その後子は貧窮困苦びんぐうこんくの身と成つて、死して無間地獄むけんぢごくす。多劫たごふの受苦事はつて今人中にんぢゆうに生まる。この梨軍支りぐんし比丘これなり。沙門と成りすなはち得阿羅漢果つ事は、父の長者が三宝をうやまひしゆゑなり。その身食に飢ゑて砂を食らうて死せし事は、母を飢やかし殺したりし依其因果なり』と、釈尊まさに梨軍支過去の所業を説き給ひしかば、阿難・目連・舎利弗しやりほつら作礼而去り給ふ。加様かやうの仏説を以つて思ふにも、臣君をなみし、子父を殺すも、今生一世の悪に非ず。武士は衣食に飽き満ちて、公家は餓死に及ぶ事も、皆過去くわこの因果にてこそ候らめ」と典釈の所述明らかに語りければ、三人ともにからからと笑ひけるが、漏箭ろうせんしきりに遷つて、晨朝じんでうにも成りければ、夜も已にあけ瑞籬みづがきを立ち出でて、おのが様々にかへりけり。以是安ずるに、懸かる乱れの世の中も、またしづかなる事もやと、憑みを残す許りにて、頼意らいいは帰り給ひにけり。




その後子は貧窮困苦の身となって、死に無間地獄([八大地獄の第八、阿鼻あび地獄])に堕ちた。多劫の苦を受けて後に人として生まれた。これが梨軍支比丘よ。沙門となって阿羅漢([仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと])になることができたのは、父の長者が三宝([仏・法・僧])を敬ったからである。食に飢えて砂を食らうて死んだのは、母を飢えさせ殺したその因果ゆえよ』と、釈尊(釈迦)が梨軍支の過去の所業を説いたので、阿難(阿難陀。釈迦の十大弟子の一人。 多聞第一)・目連(摩訶目犍連まかもつけんれん。釈迦の十大弟子の一人。神通第一)・舎利弗(釈迦の十大弟子の一人。智慧第一)は礼をして去りました。この仏説をもって思うに、臣君を亡き者にし、子が父を殺すのも、今生一世の悪にあらず。武士が衣食に飽き満ちて、公家が餓死に及ぶのも、皆過去の因果じゃろうて」と典釈の所述を明らかにして語ると、三人ともにからからと笑いました、漏箭([水時計に用いる漏壺ろうこの中に立てる、時刻を示す矢。時刻])はまたたく間に移って、晨朝([午前六時頃])になりました、夜もすでに明けたので朱の瑞籬([朱色の神社などの玉垣])を出て、各々それぞれに帰りました。これを思うに、この世の中の乱れも、また静かなることもあろうかと、頼みを残すばかりにして、頼意は帰って行きました。



[PR]
by santalab | 2017-03-07 07:34 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」大館左馬助討死の事付...      「太平記」大館左馬助討死の事付... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧