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「太平記」公家一統政道の事(その3)

清忠きよただきやう帰参して、この由を奏聞しければ、主上しゆしやうつぶさに被聞召、「居大樹位、全武備守、げにも為朝家似忘人嘲。高氏誅罰の事、彼の不忠何事ぞや。太平の後天下の士卒なほ抱恐懼きようく心。もし無罪行罰、諸卒あに成安堵思や。然らば於大樹任不可有子細。至高氏誅罰事堅可留其企」有聖断、被成征夷将軍宣旨。これによつて宮の御いきどほりも散じけるにや、六月十七日じふしちにち志貴しぎを御立ちあつて、八幡やはたに七日御逗留とうりうあつて、同じき二十三日御入洛じゆらくあり。その行列・行装かうさう尽天下壮観。先づ一番には赤松入道円心ゑんしん、千余騎にて前陣ぜんぢんを仕る。二番に殿法印良忠りやうちゆう、七百余騎にて打つ。三番には四条しでうの少将隆資たかすけ、五百余騎。四番には中院なかのゐん中将ちゆうじやう定平さだひら、八百余騎にて打たる。




清忠卿(坊門清忠)が帰参して、この旨を奏聞すると、主上(第九十六代後醍醐天皇)は始終聞かれて、「大樹([征夷大将軍の唐名])の位に即いて、武備の守りを全うすることが、朝家として人の嘲りを受けぬためだと申したか。高氏(足利高氏)の誅罰のためというが、高氏が何の不忠を働いたというのだ。とは申せ太平の後天下の士卒はなおも恐懼心を抱いておる。もし罪なく罰すれば、諸卒は安堵せぬであろう。ならば大樹に任ずることに異存はない。ただし高氏誅罰の件については堅くこれを止められよ」と聖断を下され、(護良もりよし親王に)征夷将軍の宣旨をなされました。これによって宮(護良親王)の憤りも散じたのか、六月十七日に志貴(現奈良県生駒郡平群町にある朝護孫子寺)を立ち、八幡(現京都府八幡市にある石清水八幡宮)に七日間逗留し、同じ二十三日に入洛しました。その行列・行装([外出の際の服装。旅のいでたち])は天下の壮観([規模が大きくてすばらしい眺め])を尽くしたものでした。まず一番には赤松入道円心(赤松則村のりむら)が、千余騎で前陣を務めました。二番に殿法印良忠が、七百余騎で続きました。三番には四条少将隆資(四条隆資)が、五百余騎で続きました。四番には中院中将定平(中院定平)が、八百余騎で続きました。


続く


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by santalab | 2017-03-09 07:32 | 太平記 | Comments(0)

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