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「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その3)

貞観殿ちやうぐわんでんまうすは、后町の北の御匣殿みくしげどのなり。校書殿かうしよでんと号せしは、清涼殿の南の弓場殿ゆばどのなり。昭陽舎せうやうしやは梨壺、淑景舎しげいしやは桐壺、飛香舎ひきやうしや藤壺ふぢつぼ凝花舎ぎようくわしや梅坪むめつぼ襲芳舎しふはうしやと申すは雷鳴かんなりの坪の事なり。萩の戸・ぢんの座・滝口の戸・鳥の曹司さうし縫殿ぬひどの兵衛ひやうゑの陣、左は宣陽門せんやうもん、右陰明門いんめいもん日花じつくわ月花げつくわの両門は、対陣座左右。大極殿たいごくでん小安殿こあどの蒼龍楼さうりようろう白虎楼びやくころう豊楽院ぶらくゐん清署堂せいしよだう五節ごせつ宴水えんすゐ大嘗会だいじやうゑはこの所にて被行。




貞観殿([天皇の装束等を裁縫する場所。常寧殿の北に位置した])と申すは、后町の北の御匣殿のことです。校書殿というのは、清涼殿の南の弓場殿のことです(文書の管理が行われていたので文殿も呼ばれた。また、調度品などを納めて置く場でもあったので納殿とも呼ばれた。さらに弓の練習をする射場を観覧する場所でもあったことから弓場殿とも呼ばれた)。昭陽舎は梨壺(女御などが居住した。庭に梨が植えられていたところから、梨壺ともいう)、淑景舎は桐壺(庭に桐が植えてあることから)、飛香舎は藤壺(庭に藤が植えられていたことから)、凝花舎は梅壺(庭に紅白の梅が植えてあったところから)、襲芳舎と申すは雷鳴の壺のことです(庭に霹靂の木=落雷を受けた木をそのまま放置したもの。があったとも、または雷鳴の時に天皇が避難して滝口武者に鳴弦させたともいわれる)。萩戸([清涼殿の一室の名]。障子に萩が描いてあったところから、または 前庭に萩の植え込みがあったところからという)・陣座([内裏の左右近衛陣にあり、公卿が政務を評議するために着席した場所。本来は近衛の詰所で あったが、のちに公卿が会議などを行う場所となった])・滝口の戸(清涼殿の北にあった。滝口=清涼殿の北東にある御溝水みかはみづの落ち口)・鳥曹司([宮中で飼っている鷹をつないでおく所。承明門外の東の角にあった])・縫殿([縫殿寮]=[中務省に属し、天皇および賞賜の衣服を裁縫し、また、女官の考課を司った役所。内裏の北、内蔵寮の東にあった])。兵衛の陣([兵衛が宿衛して諸門の警備にあたった所])は、左兵衛は宣陽門、右兵衛は陰明門を陣としました。日花・月花の両門は、陣座の左右にありました。大極殿([正殿])・小安殿([大極殿の北にあって、天皇が政務を執る殿舎])・蒼龍楼([朝堂院の四楼の一。大極殿の東南にあった])・白虎楼([朝堂院四楼の一。大極殿の西南にあった])。豊楽院([朝堂院の西の宮殿。朝廷の饗宴に用いられた施設])・清署堂([豊楽院内の殿舎])は、五節([大嘗祭・新嘗祭に行われた五節の舞を中心とする宮中行事])の宴水、大嘗会([天皇の即位後、天皇自らが初めて新穀を神々に供える祭事。 天皇一代に一度だけ行われる])はここで行われました。


続く


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by santalab | 2017-03-19 08:45 | 太平記 | Comments(0)

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