そもそもかの天満大神と申すは、風月の本主、文道の大祖たり。天におはしましては日月に顕光照国土、地に降下つては塩梅の臣と成つて群生を利し給ふ。その始めを申せば、菅原の宰相是善卿の南庭に、五六歳許りなる小児の容顔美麗なるが、詠前栽花ただ一人立ち給へり。菅相公怪しと見給ひて、「君はいづれの処の人、誰が家の男にておはしますぞ」と問い給ふに、「我は無父無母、願はくは相公を親とせんと思ひ侍るなり」と被仰ければ、相公嬉しく思し召して、手づから奉舁懐、鴛鴦の衾の下に、恩愛の養育を為事生育み奉り、御名をば菅少将とぞ申しける。未だ習はずして悟道、御才学世にまた類も非じと見え給ひしかば、十一歳に成らせ給ひし時父菅相公御髪を掻き撫でて、「もし詩や作り給ふべき」と問ひ進らせ給ひければ、少しも案じたる御気色もなうて、
月耀如晴雪
梅花似照星
可憐金鏡転
庭上玉芳馨
と寒夜の即事を、言葉明らかに五言の絶句にぞ作らせ給ひける。
そもそもかの天満大神と申すは、風月([自然と交わり、詩歌を作ること])の本主、文道の大祖です。天にあられては日月に光を顕わし国土を照らし、地に下っては塩梅([君主を助けて、政務をよく処理すること])の臣となって群生に利益を与えました。事の起こりは、菅原宰相是善卿(菅原是善)の南庭に、五六歳ばかりの容顔美麗な小児が、前栽([草木を植え込んだ庭])花を詠んでただ一人立っていました。菅相公(是善)は不思議に思って、「君はどこの人か、誰の家の男子か」と訊ねると、「わたしには父も母もおりません、願わくは相公を親としたいのです」と申したので、相公はうれしく思って、自ら手で舁き懐き、鴛鴦の衾([男女が共寝する寝床])の下に、恩愛の養育をなして、菅少将と呼びました。習わずして道を悟り、才学は世に並ぶ者なしと思えたので、十一歳になった時父の菅相公は髪を掻き撫でて、「詩は作れるか」と訊ねると、少しも案じる気色もなく、
月の輝きは晴れた日の雪のように明るく、
梅の花は光る星のようです。
金鏡が天に上り、
庭上に玉房([先が玉のようになった房])をちりばめたようです。
と寒夜の風景を、明確五言絶句([漢詩の詩体の一。起・承・転・結の四句からなり、一句が五字のもの])を作りました。
(続く)