本院の大臣あはや我が身に懸かる神罰よと被思ければ、玉体に立ち副ひ進らせ太刀を抜き懸けて、「朝に仕へ給ひし時も我に礼を乱し給はず、たとひ神と成り給ふとも、君臣上下の義を失ひ給はんや。金輪位高うして擁護の神未だ捨給、暫く静まりて穏かにその徳を施し給へ」と理に当たつてのたまひければ、理にや静まり給ひけん、時平大臣も蹴殺され給はず、玉体も無恙、雷神天に上り給ひぬ。されども雨風の降り続く事はなほ不休。
本院大臣(藤原時平)はあわや我が身に懸かる神罰よと思われて、玉体(第六十代醍醐天皇)に立ち添い参らせ太刀を抜き懸けて、「朝に仕えし時も我に礼を乱さず、たとえ神となろうと、君臣上下の義を失うことがあろうや(藤原時平は左大臣、菅原道真は右大臣)。(醍醐天皇は)金輪王([須弥山の四州を統治する王])にも劣らず位高くして擁護の神はいまだに捨てず、しばらく鎮まり穏かにその徳を施し給へ」と理を説いて申せば、理に鎮まるか、時平大臣も蹴殺されず、玉体も無事にして、雷神は天に上りました。けれども雨風は降り続きなおも止みませんでした。
(続く)