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「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その22)

その頃延喜の帝の御従兄弟いとこに右大弁公忠きんただまうす人、悩む事もなくて頓死とんししけり。経三日蘇生給よみがへらせたまひけるが、大息おほいき突き出でて、「可奏聞事あり、我を扶け起こして内裏へ参れ」とのたまひければ、子息信明のぶあきら信孝のぶたか二人ににん左右の手を扶けて参内し給ふ。「事のゆゑ何ぞ」と御たづねありければ、公忠わなわなと振るうて、「臣冥官みやうくわんちやうとてをそろしき所に至りさふらいつるが、たけ一丈いちぢやう余りなる人の衣冠いくわん正しきが、金軸こんぢくまをし文を捧げて「粟散辺地ぞくさんへんちあるじ延喜帝王えんぎていわう時平しへい大臣が信讒無罪臣を被流候ひき。その誤り尤も重し、早く被記庁御札、阿鼻地獄あびぢごくへ可被落」とまうせしかば、三十さんじふ人並居なみゐ給へる冥官おほきに忿いかつて、「不移時刻可及其責」と同じ給ひしを、座中第二の冥官、「もし年号を改めてとがじやする道あらば、如何んし候ふべき」とのたまひしに、座中皆案じわづらうたるていに見へて、その後、公忠蘇生仕り候ふ」とぞ被奏ける。




その頃延喜帝(第六十代醍醐天皇)の従兄弟に右大弁公忠(源公忠。第五十八代光孝天皇の孫)と申す人が、悩む事もなく頓死([急死])しました。三日を経てよみがえりましたが、大息を突くと、「奏聞すべき事がある、わしを起こして内裏へ参れ」と申したので、子息信明(源信明)・信孝(源信孝)二人が左右の手を抱えて参内しました。(醍醐天皇が)「何事ぞ」と訊ねられると、公忠はわなわなと震えて、「わたしは冥官の庁という恐ろしい所に参りましたが、丈一丈余りなる衣冠正しき人が、金軸の申し文を捧げて、「粟散辺地([辺境にある小さな国。日本])の主、延喜帝王(醍醐天皇)は、時平大臣(藤原時平ときひら)の讒を信じ罪なき臣(菅原道真)を流罪になした。その誤りはもっとも重罪である、早く札(閻魔帳)に記帳し、阿鼻地獄([八大地獄の第八。無間地獄])へ落とせ」と申せば、三十余人並居る冥官([地獄の閻魔の庁にいる役人])はたいそう怒って、「時刻を移さずその責めに及ぶべし」と同じましたが、座中第二の冥官が、「もし年号を改めて咎を謝すれば、どういたそう」と申したので、座中は皆判断しかねているように見えました、その後、公忠は蘇生致しました」と奏上しました。


続く


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by santalab | 2017-04-07 08:07 | 太平記 | Comments(0)

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