Santa Lab's Blog


「太平記」新田起義兵事(その2)

この時、故新田左中将さちゆうじやう義貞よしさだの次男左兵衛さひやうゑすけ義興よしおき・三男少将せうしやう義宗よしむね従兄弟いとこ左衛門さゑもんの佐義治よしはる三人、武蔵・上野・信濃・越後の間に、在所を定めず身を隠して、時を得ば義兵を起こさんとくはたて居たりけるところへ、吉野殿いまだ住吉に御坐おましありし時、由良ゆら新左衛入道信阿しんあを勅使にて、「南方と義詮よしあきら御合体ごがつていの事は暫時の智謀なりと聞こゆるところなり。すなはちせつに迷ひ時を過ごすべからず。早く義兵を起こして、将軍を追討つゐたうし、宸襟しんきんを休め奉るべし」とぞ仰せ下されける。信阿急ぎ東国へ下つて、三人の人々に逢うて事の子細を相触あひふれける間、さらばやがて勢を相催あひもよほせとて、廻文くわいぶんを以つて東八箇国を触れまはるに、同心のやから八百人に及べり。中にも石堂いしたう四郎入道は、近年高倉殿にしよくして、薩埵山の合戦に打ち負けて、甲斐なき命ばかりを助けられ、鎌倉にありけるが、大将に頼みたる高倉禅門は毒害せられぬ。我とは事を起こし得ず。あはれ謀反を起こす人のあれかし、与力せんと思ひけるところに、新田兵衛ひやうゑの佐・同じき少将の許より内状を通じて、事の由を知らせたりければ、流れに棹差すと悦びて、やがて同心してけり。




この時、故新田左中将義貞(新田義貞)の次男左兵衛佐義興(新田義興)・三男少将義宗(新田義宗)・従兄弟の左衛門佐義治(脇屋義治)の三人は、武蔵・上野・信濃・越後の内に、在所を定めず身を隠して、時を待って義兵を起こそうと企てていましたが、吉野殿(第九十七代後村上天皇)が住吉(現大阪市住吉区にある住吉大社)におられた時、由良新左衛入道信阿を勅使に立てて、「南方(南朝)と義詮(足利義詮。足利義貞の嫡男)が和平したのはしばらくの時間稼ぎだと聞いておろう。この折を逃し無駄に時を過ごすではない。早く義兵を起こし、将軍(足利尊氏)を追討し、宸襟を休められよ」と仰せ下されました。信阿は急ぎ東国へ下って、三人の人々に面会して事の子細を伝えたので、ならばたちまち勢を集めよと、廻文([複数の人に順に回して知らせるよう にした手紙や通知])をもって東八箇国に触れ回ると、同心の者どもは八百人に及びました。中でも石塔四郎入道(石塔義房よしふさ)は、近年高倉殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に属して、薩埵山の合戦(1351)に打ち負けて、甲斐なき命ばかりを助かって、鎌倉にいましたが、大将と頼りにしていた高倉禅門(足利直義)は毒害された。己では力不足である。もし謀反を起こす人があれば、与力しようと思っていましたが、新田兵衛佐(新田義興)・同じく少将(新田義宗)の許より内状([内密の書状])を通じて、事の由を知らせたので、流れに棹差す([時流に乗ること])とよろこんで、たちまち同心しました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-04-09 11:02 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」新田起義兵事(その3)      「太平記」大内裏造営の事付聖廟... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧