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「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その25)

去るほどに、治暦ちりやく四年八月十四日、内裏造営ざうえいの事始めあつて、後三条院ごさんでうのゐんの御宇、延久えんきう四年四月十五日遷幸せんかうあり。文人献詩伶倫れいりん奏楽。目出たかりしに、無幾程、また安元あんげん二年に日吉山王の依御祟、大内だいだい諸寮しよれう一宇も不残焼けにし後は、国の力おとろへて代々の聖主も今に至るまで造営の御沙汰もなかりつるに、今兵革ひやうかくの後、世未だ安からず、国つひへ民苦しみて、不帰馬于花山陽不放牛于桃林野、大内裏可被作とて自昔至今、我がてうには未だ用ひざる作紙銭、諸国の地頭・御家人の所領しよりやうに被懸課役条、神慮にもたが驕誇けうくうはしとも成りぬと、顰眉智臣も多かりけり。




やがて、治暦四年(1068)八月十四日、内裏造営の事始めあって、後三条院(第七十一代天皇)の御宇、延久四年(1072)四月十五日に遷幸されました。文人は詩を献上し伶倫([楽人])は楽を奏しました。めでたいことでしたが、ほどなく、また安元二年(1176)に日吉山王(現滋賀県大津市にある日吉大社の祭神)の祟りにより、大内の諸寮が一宇も残らず焼けた後は(安元の大火は安元三年(1177))、国の力は衰えて代々の聖主も今にいたるまで造営の沙汰はありませんでした、兵革([戦])の後、世はまだ安穏でなく、国の費えに民は苦しんで、不帰馬于花山陽不放牛于桃林野、馬を崋山(西安の東にある山)の陽(南)に帰さず馬を桃林の野に放たず([馬を崋山の陽に帰し牛を桃林の野に放つ]=[戦争が終わり平和になるたとえ。周の武王=周の創始者。は殷を滅ぼしたときに、戦争に使用した馬を崋山の南側に帰し、武器などを運搬させた牛を桃林に放って、二度と戦争はしないことを人民に示したという])大内裏を造営すべきと今に至るまで、我が朝では用いられなかった紙銭を作り、諸国の地頭・御家人の所領には課役([租税と夫役])を懸けました、神慮にも違い驕誇([おごり高ぶって大言を吐くこと])の発端ともなると、眉を顰める智臣も多くいました。


続く


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by santalab | 2017-04-10 08:24 | 太平記 | Comments(0)

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