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「太平記」安鎮国家の法の事付諸大将恩賞の事(その2)

四門しもんの警固には、結城ゆふき七郎左衛門しちらうざゑもん親光ちかみつ・楠木河内かはちかみ正成まさしげ塩冶えんや判官高貞たかさだ・名和伯耆はうきの守長年ながとしなり。南庭の陣には右は三浦の介、左は千葉の大介貞胤ちばのおほすけさだたねをぞ被召ける。この両人兼ねては可随其役由を領状申りやうじやうまうしたりけるが、臨其期千葉は三浦が相手に成らん事を嫌ひ、三浦は千葉が右に立たん事を忿いかつて、共に出仕しゆしを留めければ、天魔の障礙しやうげ法会ほふゑ違乱ゐらんとぞ成りにける。後に思ひ合はするに天下久しく無為ぶゐなるまじき表示へうじなりけり。されどもこの法の効験かうげんにや、飯盛いひもりの丸城は正成に被攻落、立烏帽子たてゑぼしの城は、土居・得能に被責破、筑紫は大友・小弐に打ち負けて、朝敵てうてきの首京都に上りしかば、共に被渡大路、やがて被懸獄門けり。




四門の警固は、結城七郎左衛門親光(結城親光)・楠木河内守正成(楠木正成)・塩冶判官高貞(塩冶高貞)・名和伯耆守長年(名和長年)でした。南庭の陣には右は三浦介(三浦時継ときつぐ?)、左は千葉大介貞胤(千葉貞胤)を召されました。この両人はかねてはその役に従うと領状申しておりましたが、その期に及んで千葉は三浦が相手になることを嫌い、三浦は千葉が右に立つことに腹を立てて、ともに出仕しませんでした、天魔の障礙([妨げ])が、法会の違乱([法に違反し秩序を乱すこと])となったのでした。後に思い合わせると天下が久しく無為([無事])とならぬ表示([兆候])でした。けれどもこの法の効験か、飯盛丸城(現大阪府大東市・四條畷市)は(楠木)正成に攻め落とされ、立烏帽子城(現愛媛県松山市)は、土居(土居通増みちます)・得能(得能通綱みちつな)に攻め落とされ、筑紫は大友・小弐に打ち負けて、朝敵の首は京都に上ると、ともに大路を渡され、やがて獄門に懸けられました。


続く


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by santalab | 2017-04-12 08:22 | 太平記 | Comments(0)

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