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「太平記」千種殿並文観僧正奢侈の事付解脱上人の事(その1)

中にも千種の頭の中将忠顕ただあき朝臣は、故六条ろくでう内府だいふ有房ありふさ公の孫にておはせしかば文字もんじの道をこそ、家業かげふともたしなまるべかりしに、弱冠じやくくわんの頃より我が道にもあらぬ笠懸け・犬追物いぬおふものを好み、博奕ばくえき・婬乱を事とせられける間、父有忠ありただあのきやう離父子義、不幸の由にてぞ被置ける。されどもこの朝臣、一時の栄花えいぐわを可開過去くわこ因縁いんえんにやありけん、主上しゆしやう隠岐の国へ御遷幸せんかうの時供仕りて、六波羅の討つ手に上りたりし忠功に依つて、大国三箇国、闕所けつしよ数十箇所すじつかしよ被拝領たりしかば、朝恩てうおん身に余り、そのおごり目を驚かせり。その重恩そのぢゆうおんを与へたる家人けにんどもに、毎日の巡酒を振る舞はせけるに、堂上だうじやうに袖を連ぬる諸大夫・侍三百人に余れり。その酒肉珍膳しゆじくちんぜんつひへ、一度に万銭もなほ不可足。また数十間すじつけんむまやを作り双べて、ししに余れる馬を五六十疋被立たり。さかもりんで和興に時は、数百騎すひやくき相随あひしたがへて内野うちの・北山辺に打ち出でて追出犬、小鷹狩こたかがりに日を暮らし給ふ。その衣裳はへう・虎の皮を行縢むかばきち、金襴纐纈きんらんかうけつ直垂ひたたれに縫へり。賎しきが服貴服謂之僭上。僭上無礼せんじやうぶれいは国の凶賊なりと、孔安国こうあんこくいましめを不恥けるこそうたてけれ。




中でも千種頭中将忠顕朝臣(千種忠顕)は、故六条内府有房公(六条有房。内府=内大臣)の孫でしたので文字(和歌)の道をこそ、家業とし嗜むべきところを、弱冠の頃より我が道にもあらぬ笠懸([馬に乗って遠距離の的を射る競技])・犬追物([騎馬で犬を追い、弓で 射る騎射訓練の武術])を好み、博奕・婬乱に耽ったので、父有忠卿(六条有忠)と父子の縁を切られて、不孝の身となりました。けれども忠顕朝臣が、一時の栄華を開いたのは過去の因縁によるものでしょうか、主上(第九十六代後醍醐天皇)が隠岐国へ遷幸の時供をして、六波羅の討手として上った忠功により、大国三箇国、闕所([財産没収刑又はその刑罰により所有者がいなくなった所領])数十箇所を拝領しました、朝恩は身に余り、驕りは目を驚かせるほどでした。重恩の家人どもに、毎日巡酒を振る舞い、堂上に袖を連ねる諸大夫・侍は三百人に余りました。その酒肉珍膳の費用は、一度に万銭でもなお足りませんでした。また数十間の厩を作り並べて、肉付きのよい馬を五六十匹立てていました。酒盛りが済むと、数百騎を従えて内野(大内裏があった場所。鎌倉時代には一面野原となっていたらしい)・北山(現京都市北区)辺に打ち出て犬を追い、小鷹狩りに日を暮らしました。その衣裳は豹・虎の皮を行縢([遠行の外出・旅行・狩猟の際に両足の覆いとした布帛ふはくや毛皮の類])に裁ち、金襴([金糸を絵緯えぬき=横糸。として文様を織り出した織物])纐纈([絞染])を直垂としました。『故賤服貴服、謂之僭上』(賎しき故に貴き服を着ることは、僭上=身分を越えて出過ぎた行いをすること。の振る舞いである。『孝経』)。僭上の無礼は国の凶賊であると、孔安国(前漢代の学者。孔子十一世の孫らしい)の戒めを恥じないことこそ愚かなことでした。


続く


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by santalab | 2017-04-14 06:45 | 太平記 | Comments(0)

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