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「太平記」千種殿並文観僧正奢侈の事付解脱上人の事(その3)

以何云之ならば、文治ぶんぢの頃洛陽らくやうに有一沙門しやもん。その名を解脱げだつ上人とぞまうしける。その母七歳の時、夢中に鈴を呑むと見てまうけたりける子なりければ、非直人とて、つになりける時より、その身を入釈門、つひたつとき聖とは成しけるなり。されば慈悲深重じひじんぢゆうにして、三衣さんえれたる事を不悲、行業ぎやうごふ不退にして、一鉢いつぱつの空しき事を不愁。大隠たいいんは必ずしも市朝してうの内を不辞。身は雖交五濁塵、心は不犯三毒霧。任縁歳月を渡り、利生山川を抖薮とそうし給ひけるが、ある時伊勢太神宮にまゐつて、内外宮ないげくうを巡礼して、ひそかに自受法楽の法施ほつせをぞ被奉ける。大方おほかた自余の社には様替はつて、千木ちぎも不曲形祖木かたそぎも不剃、これ正直捨方便しやはうべんの形を顕はせるかと見へ、古松こしよう垂枝老樹らうじゆ敷葉、皆下化衆生げけしゆじやうさうへうすと思えたり。




どうして文観僧正のことを申すかというと、文治(第八十二代後鳥羽天皇の御宇)の頃洛陽(京)に一人の沙門([バラモン階級以外の出身の男性修行者])がいました。その名を解脱上人(信西の孫に当たる)と言いました。母が七歳(?)の時、夢の中で鈴を呑むと見て出来た子でしたので、只人ではないと、三つになった時から、その身を釈門に入れて、遂に貴き聖となりました。慈悲深く、三衣([僧尼の着る僧伽梨そうぎやり鬱多羅僧うつたらそう安陀会あんだえの三種の衣 ])の破れを悲しまず、行業を怠ることなく、一鉢が空しくとも愁うことはありませんでした。大隠は朝市に隠る([真の隠者は、 人里離れた山中などに隠れ住まず、かえって俗人にまじって町中で超然と暮らしている ということ])言葉通りの人でした。身は五濁([悪世になると生じる五つの悪い現象])の塵に交わるといえども、心は不犯三毒([仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩])の霧に冒されず。縁に任せて歳月を渡り、利生([仏神が人々を救済し、悟りに導くこと])の山川を抖薮([衣食住に対する欲望を払い退け、身心を清浄にすること。また、その修行])していましたが、ある時伊勢大神宮に参って、内外宮を巡礼して、密かに自受法楽([仏が、自らの悟りの内容を深く味わい楽しむこと])の法施([仏などに向かって経を読み、法文を唱えること])を奉りました。大方の自余の社には様変わりして、千木([神社建築などに見られる、建造物の屋根に設けられた部材])は曲がらず、片削ぎ([神社の屋根に交わしてある千木ちぎの両端を斜めに削り落としたもの])を剃らず、正直捨方便([方便=人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。を捨ててまっすぐに法を説くこと])の形を顕わすかと見え、古松は枝を垂れ老樹は葉を敷き、どれも下化衆生([この迷いの世界にあって、真理を見ずに惑い苦しむ生きとし生けるものを教化し救済すること])の相を現すと思われました。


続く


by santalab | 2017-04-17 12:25 | 太平記

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