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「太平記」新田起義兵事(その9)

父の禅門大きに興を醒まして、急ぎ三浦が許に行きて、「父の子を思ふ如く、子は父を思はぬ者にて候ひけり。この事右馬のかみに知らず、敵の中に残りて討たれもやせんずらんと思ふ悲しさに、告げ知らせて候へば、もつてのほかに気色きしよくを損じて、この事将軍に告げ申さでは叶ふまじきとて、かへり候ひつるはいかに。この者が気色、よも告げ申さぬ事は候はじ、いかさまやがて討つ手を向けられんと思え候ふ。いざさせ給へ。今夜我らが勢を引き分けて、関戸せきとより武蔵野へまはつて、新田の人々と一つになり、明日の合戦を致し候はん」とのたまひければ、多日たじつはかりことたちまちにあらはれて、かへつて身のわざはひになりぬと恐怖して、三浦・葦名・二階堂にかいだう手勢三千騎を引き分け、寄せ手の勢にくははらんと関戸をまはつて落ち行く。これぞ早や将軍の御運尽きざるところなれ。




父である禅門(石塔頼茂よりしげ)はたいそう落胆して、急ぎ三浦(三浦時継ときつぐ)の許に行き、「父が子を思うほど、子は父を思わぬものですな。この事を右馬頭(石塔頼房よりふさ)に知らせぬまま、敵の中に残り討たれるやもと思えば悲しくて、告げ知らせれば、思いの外に気色を損じて、この事を将軍(足利尊氏)に告げ申さなくてはと、帰ってしまったがどういうことか。あの様子では、よもや告げ知らせぬことはなかろう。こうなっては仕方ない。今夜我らの勢を引き分けて、関戸(現東京都多摩市)より武蔵野に廻って、新田の人々と一つになり、明日の合戦をいたそうではないか」と申したので、多日の謀がたちまちに露見して、かえって身の禍いとなったことを恐れ、三浦・葦名・二階堂は手勢三千騎を引き分け、寄せ手の勢に加わろうと関戸を廻って落ち行きました。これこそ将軍の運が尽きていない証しでした。


続く


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by santalab | 2017-04-23 09:20 | 太平記 | Comments(0)

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