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「太平記」神泉苑の事(その6)

代々の御門崇之家々の賢臣敬之。もし旱魃かんばつ起こる時は先づ池を浄む。然るを後鳥羽の法皇ほふわうり居させ給ひて後、建保けんほうの頃よりこの所すたれ、荊棘けいぎよく路を閉づるのみならず、猪鹿ちよろくの害蛇放たれ、流鏑かぶらの音驚護法聴、飛蹄ひていの響き騒冥衆心。有心人不恐歎云ふ事なし。承久しようきうの乱の後、故武州禅門ごぶしうぜんもんひそかに悲此事、高築垣堅門被止雑穢。その後涼燠りやういくしばしば改まつて門牆もんしやうやうやく不全。不浄汚穢ふじやうわゑの男女出入無制止、牛馬水草を求むる往来わうらい無憚。定めて知んぬ竜神不快か。早く加修理可崇重給。崇此所国土可治なり。




代々の帝家々の賢臣が神泉苑(現京都市中京区にある寺院)を崇めました。旱魃が起これば池を浄めました。けれども後鳥羽法皇(第八十二代天皇)が位を下りられた後、建保(第八十四代順徳天皇の御宇)の頃より廃れて、荊棘が路を閉じるのみならず、猪鹿害蛇が放たれ、流鏑矢の音は護法([護法善神]=[仏法を守護する鬼神])の耳を驚かせ、蹄の響きは天まで響き冥衆([閻魔王や梵天など、人の目に見えない鬼神や諸天])の心を騒がせました。心ある人は恐れ嘆かぬ者はいませんでした。承久の乱(1221)の後、故武州禅門(鎌倉幕府第二代執権、北条泰時やすとき)は密かにこれを悲しんで、高い築垣([土塀])で門を閉じ雑穢([様々な穢れ])を防ぎました。その後涼燠(年号)はしばしば改まって門牆([門と垣])は崩れました。不浄汚穢の男女が出入りし、牛馬が水草を求めて往来を憚ることはありませんでした。きっと竜神は不快に思われておられることでしょう。ただちに修理を加え厚く敬うことにしました。必ずや国土が治まる基となることでしょう。


続く


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by santalab | 2017-04-26 07:58 | 太平記 | Comments(0)

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