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「太平記」北山殿謀反の事(その1)

故相摸入道にふだうの舎弟、四郎しらう左近の大夫入道は、元弘の鎌倉合戦の時、自害したる真似をして、潛かに鎌倉を落ちて、しばしは奥州あうしうにありけるが、人に見知られじが為に、還俗して京都に上り、西園寺殿さいをんじどのを憑み奉て、田舎侍ゐなかさぶらひの始めて召し仕はるるていにてぞ居たりける。これも承久しようきうの合戦の時、西園寺の太政だいじやう大臣公経公きんつねこう関東くわんとうへ内通の旨ありしに依つて、義時よしときその日の合戦に利を得たりし間、子孫七代まで、西園寺殿を可憑申と云ひ置きたりしかば、今に至るまで武家異他思ひを成せり。これによつて代々の立后も、おほくはこの家より出でて、国々の拝任も半ばはその族にあり。然ればくわん太政大臣に至り、位一品くらゐいつぼん極位ごくゐを不極と云ふ事なし。偏へにこれ関東くわんとう贔屓の厚恩なりと被思けるにや、如何にもして故相摸入道が一族を取り立てて、再び天下の権を取らせ、我が身公家の執政として、四海をたなごころに握らばやと被思ければ、この四郎左近の大夫入道を還俗せさせ、刑部ぎやうぶ少輔せう時興ときおきと名を替へて、明け暮れはただ謀反の計略をぞ被回ける。




故相摸入道(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかとき)の舎弟、四郎左近大夫入道(北条泰家やすいへ)は、元弘の鎌倉合戦の時、自害した振りをして、密かに鎌倉を落ちて、しばらくは奥州にいましたが、人に見知られぬために、還俗して京都に上り、西園寺殿(西園寺公宗きんむね)を頼んで、田舎侍として初めて召し仕える体で潜伏していました。承久合戦の時、西園寺太政大臣公経公(西園寺公経)が、関東(鎌倉幕府)に内通し、義時(北条義時。鎌倉幕府第二代執権)がその日の合戦に勝ったので、子孫七代まで、西園寺殿を頼み申すべきと言い置きしたので、今に至るまで他の武家と同じように思っていませんでした。これによって代々の立后も、多くはこの家より出て、国々の拝任も半ばは西園寺一族が務めました。こうして官は太政大臣に至り、位一品の極位を極めずということはありませんでした。ひとえにこれは関東贔屓の厚恩と思っていたのか、如何にもして故相摸入道(北条高時)の一族を取り立てて、再び天下の権を取らせ、我が身は公家の執政として、四海([国内])を掌に握ろうと思い、この四郎左近大夫入道(北条泰家)を還俗させ、刑部少輔時興と名を替えて、明け暮れはただ謀反の計略を廻らせました。


続く


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by santalab | 2017-04-27 06:58 | 太平記 | Comments(0)

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