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「太平記」北山殿謀反の事(その2)

ある夜政所せいしよの入道、大納言殿の前に来たつてまうしけるは、「国の興亡きようばうを見るには、まつりごとの善悪を見るに不如、政の善悪を見るには、賢臣の用捨を見るに不如、されば微子びし去つていんの代傾き、范増はんぞう被罪楚王そわう滅びたり。今の朝家てうけにはただ藤房ふぢふさ一人のみにてさふらひつるが、未然に凶をかんがみて、隠遁の身と成り候ふ事、朝廷の大凶たいきよう当家たうけの御運とこそ思えて候へ。急ぎ思し召し立たせ給ひ候はば、前代の余類よるゐ十方より馳せまゐつて、天下をくつがへさん事、一日を不可出」とぞ勧めまうける。公宗卿きんむねきやうげにもと被思ければ、時興ときおきを京都の大将として、畿内近国の勢を被催。そのそのをひ相摸次郎時行ときゆきをば関東くわんとうの大将として、甲斐かひ・信濃・武蔵・相摸の勢を付けらる。名越なごや太郎時兼ときかぬをば北国の大将として、越中・能登・加賀の勢をぞ被集ける。




ある夜政所入道が、大納言殿(西園寺公宗きんむね)の御前に参って申すには、「国の興亡を見るには、政の善悪を見るには、賢臣の用捨を見るに如かずと申します、微子(微子啓びしけい。殷の王族)が去って殷の時代は傾き、范増(秦末期の楚の軍師)は罪を被り楚王(項羽。秦末期の楚の武将)は滅びました(范増は病死らしい)。今の朝家に賢臣はただ藤房(万里小路藤房)一人のみでございましたが、未然に凶を鑑みて、隠遁の身となりましたこと、朝廷の大凶、当家の幸運と思われます。急ぎ思い立たれますれば、前代(北朝初代光厳天皇)の余類が十方より馳せ参って、天下を覆すこと、一日にして叶いましょう」と勧め申しました。公宗卿もなるほどと思われて、時興(北条泰家やすいへ。鎌倉幕府第九代執権、北条貞時さだときの四男)を京都の大将として、畿内近国の勢を催しました。泰家の甥の相摸次郎時行(北条時行。鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかときの子)を関東の大将として、甲斐・信濃・武蔵・相摸の勢を付けました。名越太郎時兼(名越時兼=北条時兼)を北国の大将として、越中・能登・加賀の勢を集めました。


続く


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by santalab | 2017-04-28 08:23 | 太平記 | Comments(0)

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