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「太平記」武蔵野合戦の事(その7)

これその軍立ち無甲斐、将軍の後ろに控へておはする陣の中へ、こぼれ落ちて引くあひだ、荒手はこれに被蹴立不進得、敵は気に乗つて勝ち鬨を作り懸け作り懸け、責め付けて追つ懸くる。かくては叶ふまじ、すこし引き退いて一度に返せと云ふほどこそありけれ、将軍の十万じふまん余騎、混引ひたひきに引き立て、かつて後ろを不顧。新田武蔵のかみ義宗よしむね、旗より先に進んで、「天下の為には朝敵てうてきなり。我が為には親の敵なり。只今尊氏たかうぢが首を取つて、軍門に不曝、いつの時をか可期」とて、自余の敵どもの南北へ分かれて引くをば少しも目に懸けず、ただ二つ引両びきりやうの大旗の引くに付いて、いづくまでもと追つけ給ふ。引くもむちを挙げ、追ふも逸足いちあしを出だせば、小手差原より石浜まで坂東道已に四十六里を片時へんしが間にぞ追つ付きたる。




花一揆は軍立ての甲斐もなく将軍(足利尊氏)が後ろに控える陣の中へ、こぼれ落ちて引き下がったので、新手はこれに蹴り立てられて進み得ず、敵は勢いに乗って勝ち鬨を作り、攻めて追いかけました。こうなってはどうしようもなく、少し引き退いて一度に返せと言うほどに、将軍の十万余騎は、一斉に引き退いて、後ろを振り向くことはありませんでした。新田武蔵守義宗(新田義宗。新田義貞の三男)は、旗の先に進んで、「天下にとっての朝敵ぞ。我にとっては親の敵でもある。今尊氏の首を取って、軍門に晒さずば、いつの時を待つというのか」と申して、自余の敵どもが南北に分かれて引くを少しも目に懸けず、ただ二つ引両(足利氏の紋)の大旗の引くに付いて、どこまでも追いかけました。引く敵は鞭を上げ、追うも逸足で駆けたので、小手指原(現埼玉県所沢市)より石浜(現東京都福生市牛浜?)まで坂東道四十六里はあっという間でした。


続く


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by santalab | 2017-05-01 10:49 | 太平記 | Comments(0)

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